ボランティア元年世代への期待
(阪神淡路大震災 ウィキペディアより)
昨日1月17日は、阪神淡路大震災から20年目の節目でした。追悼式典には天皇、皇后両陛下が出席され犠牲者の霊を慰められました。
両陛下が災害に心を痛められ深い追悼のお気持ちを持っていられることをごくごく自然な形で行動に移されるお姿がとても高貴に思えました。
私は、阪神淡路大震災の発生から2か月ほど経った後神戸を訪れました。今でもその時目に飛び込んできた光景は目に焼き付いています。
電車が普通でバスに乗り換えて神戸に向かいました。車中で誰一人としておしゃべりしていません。無言で窓の外の光景を眺めていました。
建物の残骸が至る所で積まれていました。家が立ち並んでいるはずのところに家がありません。衝撃の余波が残っていて言葉にならない様相でした。
当時私はNHKを退職して政治家を目指して浪人中でした。私の初任地は神戸放送局でした。1979年から1983年まで勤務しました。
新人記者の頃、走り回っていた場所のイメージが頭に残っていて目に見える状況を受け止めるまで時間がかかりました。
特に、神戸市の中心街の三宮周辺の光景を見た時は、ここが本当に三宮なのかという思いに襲われ全く言葉が出ませんでした。
私を神戸に招いてくれたのは先輩記者でした。政治家を目指すのならば子の大災害の現場をしっかりと見て置く必要があると言われました。
瓦礫の山の合間にある広場に掘っ立て小屋のような建物が至る所にありました。手作りの旗が入り口に掲げられていました。
災害ボランティアの皆さんの拠点でした。若い人が多く活気がありました。暗い静寂が支配している一帯に光があると感じました。
阪神淡路大震災の起こった1995年は日本における「ボランティア元年」と言われました。間違いなくその通りの光景でした。
行政側は、災害ボランティアに対する意識はまだ高まっておらず受け入れ態勢は不十分でした。でも若者たちを中心にボランティアが集まりました。
当時若者たちの行動に対し盛んに「自分探し」という言葉が使われました。自分を見失っていた若者たちが自分を見つけようとしたという見方です。
私もこの見方に賛成です。当時日本はとてつもない豊かさを手にしていました。しかし、バブル経済は崩壊し将来に不安が漂い始めた頃です。
物質的な豊かさ一辺倒ではいけないと何かを探し求めていた若者が多かったのではないかと見ています。そこに阪神淡路大震災が起こりました。
後さき考えずにとにかく思い切って奉仕を体験してみたかったのだと思います。その結果本当に大切なものを発見したかったはずです。
当時ボランティアに飛び込んで行った若者たちも40才前後の社会の中核になっています。ボランティア元年世代と言っても良いです。
私はこの世代に期待してます。ちょっと上のバブル真っ盛りの時代にどっぷりと浸かった世代とは違う感性を持っていると思ってます。
その後の日本経済の落ち込みも知っています。物質的な豊かさのはかなさを実体験しました。厳しい20代を過ごした最初の世代です。
この世代の踏ん張りが日本の将来を決めるように思います。若いうちに光と影を両方見て来た強みがあり本物志向だと思うからです。