文明の危機を救うのは日本人本来の哲学と生き方。
昨日午後、2か月に一度の地方の抱える諸問題について学ぶ勉強会がありました。学者やジャーナリスト、地方議員ら9人の参加でした。
関東学院大学名誉教授の久保新一さんが報告されました。表題は、「2000年代の近代(工業化)の成熟と課題でした。
正直、とっつきにくいテーマです。A4で9ページのレジュメが渡されました。最後の3ページ余りは参考文献が並べられていました。
全部で100冊でした。久保さんは、国際貿易が専門です。参考文献は、専門領域を大きく超えて哲学、科学、環境幅広いことこの上ありません。
理由があります。久保先生の危機意識が参考文献リストに反映されています。久保先生は現代社会は文明の危機のただ中にあると見ています。
これに対応するには、これまでの発想の延長線上で考えていたのでは克服することはできません。視野を広く持って考察せざるを得ません。
久保先生の現状分析は明快です。1970年代辺りから産業が高度化してきてデジタル化、IT化が進み、極度に製品価格が下落しました。
コンピューターを考えればイメージできます。事務室ぐらいの大きさがないと計算できなかったような計算が格安パソコンで可能になりました。
2000年代に入ってこうした傾向は更に強まり完全にインターネット社会になりました。製品価格はどんどん下がります。
省力化も進みますので産業が雇用につながりません。便利で手軽な経済が逆に人を苦しめる結果につながってしまっています。
こうした産業構造の変化と同時進行で人類の生存自体を脅かす危機が進行中です。言わずと知れた地球環境の危機です。
先進諸国から新興諸国へと経済発展が拡大するにつれて経済活動から吐き出される二酸化炭素の分量は増えて地球温暖化へと続きます。
進歩すればするほど生きにくい世の中になってしまい、知らない内に地球も病んでもはや人類の生存を許さなくなってきています。
豊かさを追い求めた現代文明に行きついた結果だと言えます。久保さんは、現代の日本の若者にも危機の現れを見てとっています。
将来に希望が持てないため、現状を肯定せざるを得ず小さく閉じこもります。動物園の動物みたいなという極端な言い方もあるほどです。
こうした危機をもたらした根本原因は何かということになります。久保さんは、西欧生まれの自然と人間とを分離して考える哲学にあると見ています。
この考え方は、人間は自然を支配できるという人間中心主義といっても良いです。この発想を脱却することが大切だということになります。
人間は自然の一部であってともに共生して生きて行くということです。また、孤立した個人ではなく助け合う共同体を重視する姿勢です。
こうした生き方は、日本人が本来持っていた考え方です。要は、日本人が本来持っていた考え方に立ち戻れということになります。
久保さんは、最後に尊敬する人物として二宮尊徳先生を挙げられました。左派の経済学者から名前が出るとは思いも寄りませんでした。
書籍を学び精神的活動を活発にしながら農業にも取り組む姿は理想の姿だと言われていました。またまた二宮尊徳先生の名前が登場しました。