日中友好へ向けて小さくても志の高い新年会

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(福沢神社に初詣)

昨日、日中歴史文化交流センターの新年会がありました。11時に新松田駅に集合し車に分乗して南足柄市大口の福沢神社に初詣に伺いました。

守り神の治水神・禹王に今年一年の安寧を祈りました。東京から2人、横浜から1人、海老名から1人、合わせて14人の参加者でした。

海老名市の日中友好協会の平岡会長に話題提供してもらいました。平岡さんは私のNHKの大先輩です。ロシアにも精通されている技術者です。

中国とロシア、両面を知っている立場からのお話しでした。アメリカ一辺倒ではなく多面的に観る必要性を言われてました。

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話しの後は美味しい中華料理をいただきました。大井町の櫻梅(おうばい)というお店です。隠れた名店です。味はぴか一です。(櫻梅 0465-82-9066)

箱根小涌園で中国料理長を務められた方がご主人です。奥様と二人で店を切り盛りしています。本当に美味しいです。

一人一人から近況報告がありました。小田原を中心とする西湘日中友好協会の事務局長の小早川のぞみさんの話が印象に残りました。

小早川さんは旧満州からの引揚者です。父上が満州電力の社員でした。先の戦争末期ソビエト軍の侵攻をいち早く知る立場にありました。

幼い小早川さんを連れて日本に帰ることができました。そのことがなければこの世にいないと自らの人生を振り返っていました。

奇跡的に生命が守られたのだから日中の友好に少しでもお役に立ちたいと思って様々な日中友好の活動をしていると言われてました。

私の自己紹介の番になりました。私は、小早川さんの話を受けて父の話をしました。父は、旧ソビエト軍に捕らえられ抑留されました。

旧ソビエト軍の侵攻を食い止め日本人が逃げる時間を作るための挺身大隊の大隊長でした。ソビエトと満州の国境で激戦を展開しました。

1945年8月15日に前後のことです。父は、4年半抑留生活を強いられた後帰国しました。その後生まれたのが私です。

父は当時の記録を『北の國に生きて』という著書にまとめています。その最後には「平和日本の建設」を訴えてました。

昨日の新年会で父の遺志でもある平和日本の建設のために日中友好に取り組んでいこうと決意を新たにしました。

神奈川県内で中国に関心を持って歴史や文化について学んでいられる方は大勢いられます。横のつながりは今一つです。

様々な交流事業を行って接点を持つ場を提供したいと考え日中歴史文化交流センターを昨年5月立ち上げました。

今年は2月22日、小田原市鴨宮のタウンセンターマロニエで開催される国際交流フェスタへの参加が最初の取り組みです。

中国の伝統芸能「変面」を東京から招きステージで披露することになってます。瞬時に次々と面が変わる超絶技巧を楽しんでいただきたいです。

そして5月9日、10日には、開成町で東アジア文化交渉学会があります。中国を始め内外の研究者の皆さまへのおもてなしに力を注ぎます。

5月30日は新横浜の中華料理店で総会です。一歩一歩着実に日中友好の歩を進めるために頑張ることを皆で誓いありました。