北条早雲と二宮尊徳の共通項は、王道に生きた生き様。

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嚶鳴という言葉をご存知でしょうか。「おうめい」と読みます。私は、初めて知りました。鳥が仲間を集めて鳴き合うという意味です。

中国最古の詩集、詩経の中の言葉だということです。愛知県東海市に生まれ江戸時代中期の儒学者細井平洲が東京に開いた塾の名前になっています。

細井平洲は、山形県の米沢藩の藩政を立て直し、人格に優れた行政改革者として名高い上杉鷹山(ようざん)の先生にあたります。

愛知県東海市や山形県米沢市のトップが集まってふるさとの先人の偉業を見つめ直し、町づくりについて語り合おうという会を発足させました。

「嚶鳴フォーラム」と名付けられました、参加自治体は、全部で14市町です。今年が8回目の大会で開催場所は小田原でした。

小田原といえば小田原の都市としての基礎を築いた北条早雲に始まる戦国大名の北条氏と江戸末期の農業改革者、思想家の二宮尊徳です。

12時から始まり午後4時40分まで長丁場の催しでしたが参考になるところがたくさんありました。良い催しでした。

2人の基調講演者のお一人、歴史小説家の伊藤潤さんの話が参考になりました。外資系のサラリーマンから小説家に転じられた方です。

1960年生まれですので55歳です。二足の草鞋を脱いで小説家一本で行くようになってから数年だと言われてました。

北条早雲に始まる北条五代の治世を一言で称すると理念を前面に掲げた政治だと言われていました。民のためという理念を打ち出しました。

織田信長は、天下布武(てんかふぶ)、武力を持って天下を治めるという姿勢に対し北条五代は民生重視で国を治めることを重んじということです。

信長は覇道、力の政治の覇者を目指したのに対し北条五代は戦国の世にあって王道政治の理想にこだわったともいえそうです。

もう一人の小田原の偉人、二宮尊徳については、著名な歴史小説家、童門冬二さんが解説されました。88歳で弁が達者でした。

二宮尊徳の少年時代の薪を背負った銅像。手に持っている書は、中国儒教の古典の「大学」です。修身、斉家、治国、平天下を訴えてます。

自らの身を正して家庭を安定させて、国家が収まる、その結果転嫁が平和になるという思想です。私もこの考えかたを大切にしてます。

童門さんによればこの思想は、王道の政治、生き方を示しているということです。伊藤さんの北条五代の解説とつながりました。

小田原の郷土の偉人は、北条氏も二宮尊徳も王道を追い求めたということです。小田原にはその伝統が今も脈々と息づいているはずです。

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13の市町の代表者による町づくりの紹介もありました。米沢市の郷土の偉人上杉鷹山の町づくりの紹介が印象に残りました。

アメリカのケネディ元大統領は上杉鷹山を尊敬していました。娘さんのケネディ駐日アメリカ大使が米沢市を訪問した時の映像が流れました。

ケネディ元大統領が好きだった上杉鷹山の言葉は「為せば成る」という言葉だったということです。やろうとしなければ何もできません。

地方創生が盛んに叫ばれている今の時代、最も大切な考え方だと思います。自ら立ち上がる意欲を持って初めて新たな町づくりが可能となります。