教育と地方創生
(東大赤門)
一昨日、昨日と二日続けて東京にでかけました。大学の卒業証明書と成績証明書を勤務する大学に届ける必要があり証明書の申請手続きをしました。
地下鉄丸ノ内線、本郷三丁目から5分ほどのところにある東大の赤門は私が通っていた時と全く変わっていません。しかし構内は様変わりです。
ぶらりと歩きましたが道に迷います。高層の建物があるために土地勘が狂います。頭の中は35年前のままです。だいぶ錆びつきました。
(東大教養学部正門)
大学1、2年の時に通った教養学部も同じで構内は一変していました。汚いことこの上ない寮がなくなっていました。
高校時代の仲間と4人で一部屋を借りてました。遅くなると泊まってました。懐かしさがこみ上げてきましたが建物は消えてました。
私は教育学部教育行政学科の卒業です。赤門のすぐそばに学部の建物はあります。当時のままでした。通った2年間を思い出しました。
卒論には相当の精力を費やしました。年末年始ねじり鉢巻きで頑張った記憶があります。題名は「脱学校の社会」でした。
イバン・イリッチというオーストリア生まれの社会思想家がいて学校で勉強することは過去の古い知識を詰め込むことになると批判してました。
学校は権威であって権威を押し付ける機関になってしまっているという立場からの学校教育への鋭い投げかけでした。
私はなぜか良く言えば反骨、悪く言えば反発心が強く権威に対して逆らいたいという衝動を常に持ち合わせています。
イリッチの権威に対する姿勢にひどく魅せられました。イリッチの視点から教育のあり方を自分になりに考えて卒論に仕立て上げました。
一言で言えば学校教育が中心となっている状況を改めて学校以外の様々な現場で子供たちが学ぶことによって真の学力が身に付くという主張です。
机上の空論ではいけないという話です。そして専門の教師だけが教えるのではなく地域の人たちも積極的に関わる必要があると書きました。
地域の人たちにとっても教える機会を持つことは自らも学ぶことにつながります。いわゆる生涯学習の意義を強調しました。
イリッチは、コンピューターが発達すれば学校と地域が協力しあっていつでもどこでも学べるようなカリキュラムが可能だと著書に書いてます。
私も卒論の中でこうした新しい教育が展開している未来社会を夢見て「脱学校の社会」を書き上げました。青春の思い出の一つです。
1998年2月に開成町長に就任してから私は卒論で培った「脱学校の社会」の考えを町づくりに応用しようと考えました。
学校と地域社会の垣根をできる限り低くして地域の方々がどんどん学校へ入り、子供たちは外に出て体験学習をする方向を援助しました。
足柄の歴史再発見クラブの皆さんによる治水の歴史を学ぶ出前授業や地元の農業高校との連携授業の展開などを進めました。
現在、地方創生が大きな政治課題になっています。教育を通じて地域社会全体を活性化させることも地方創生の目指す方向だと思います。
全国各地の首長がこれぞと思うやり方で教育改革を進めその結果地域全体が元気になるよう取り組んで欲しいと念願します。