信玄と早雲から府川開成町長へ活。

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昨日、開成町福祉会館で府川裕一開成町長の町政報告会がありました。会場は、500人の参加者で満席でした。

檀上には、神山洋介衆議院議員、加藤憲一小田原市長、加藤修平南足柄市長、足柄上下郡の町長、労働組合の代表の方が勢ぞろいでした。

来賓の方々からは、少子高齢化や人口減少が叫ばれているこの時期に開成町が人口が増えていることを評価し称賛の言葉が続きました。

府川町長は、来賓の言葉を受けて「引き続き町政を担わせていただきたい。」と話し、2期目への抱負を語ってました。

私は、会場にはいませんでした。舞台のそでで出番を待っていました。同級生による激励のパフォーマンスをすることになってました。

府川町長と私は幼馴染です。1955年、昭和30年、二つの村が合併して開成町が誕生した年の4月から翌年の3月までの学年です。

小学校の時は、赤組、白組の2クラスでした。87人だったと記憶してます。中学校になって転校生が増えてきて3クラスになりました。

今回同級生が集まったのには訳があります。府川町長はこの4月が選挙です。既に対抗馬の出馬も決まっています。

相当の苦戦が伝えられてます。同級生の中から町政報告会で激励のパフォーマンスをしようということになりました。

昨年末のことです。5月に開かれる小田原の北条五代のお祭りの時に段ボール製の手作り甲冑を付けたパレードが行われています。

甲冑を借りてきて武将や足軽となって檄を飛ばそうということで一致しました。わが同級生は人材が豊富です。

小田原の甲冑づくりのグループに伝手もありますし、舞台演出が得意なのもいます。音響のセミプロもいます。

私が総大将に扮して武将が3人、女性の足軽が16人、総勢20人の軍団を結成しました。8本ののぼりも作りました。

工作が得意中の得意なのがいてのぼり旗は布を買ってきて工作紙で文字の型を作ってスプレーで吹き付けて文字を手作りで作成しました。

満員の聴衆に向かって「エイエイオー」と言いながら府川町長を激励しました。どよめきもあってかなり受けました。

同級生ですが先輩町長として府川町政を眺めていますと正直物足りなさがあります。町長自らの意思が明確でないのが一番の不満です。

首長それぞれタイプが違います。私は積極的に前に出るタイプです。府川町長は逆です。皆の意見を聞きながら進めるやり方です。

違いは当然ありますがこういった町を創りたいという思いを発信しなければなりません。府川町長はここが苦手なのだと思います。

しかし、時代は激動です。政府が掲げる地方創生の流れを取り入れていく必要があります。府川町長には脱皮を期待して止みません。

勝海舟は、戦国武将で武田信玄と北条早雲を高く評価しています。いずれもわが地域とゆかりの深い人物です。

段ボール製とはいえ総大将の手作り甲冑を身にまとっていたので気分は信玄、早雲になり切っていました。

環境崩壊、人口減少の危機を乗り越えるため開成町が先頭を走って欲しいとの思いを込めました。今勢いのある開成町の使命だと思います。