富士山、日本で一番高くて美しい危険な山

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(赤色立体地図による富士山火口 アジア航測株式会社)

3776メートル日本一の高さを誇る山は、もちろん富士山です。でも険しくなくプロの登山者でなくても登れるのは何故でしょうか。

そんな素朴な疑問の答えが判りました。1日大学生の卒論に学ぶ会の後、測量専門会社の技術者による特別講演がありました。

富士山は巨大なボタ山だということです。地下からの噴出物が上から堆積してきれいな円錐形となりました。

砂時計の砂が降り注いだ感じです。傾斜がきつくありません。ですので年間で30万人もの人が登ることができます。

日本一高く美しく誰でも登ることができるとなると良いことづくめみたいです。しかし富士山は活火山です。時に牙をむきます。

直近の最大の噴火は、1707年12月の宝永大噴火です。南東の斜面から大爆発が起こり噴火の砂は江戸にまで届きました。

9センチという記録が残っています。偏西風に乗りました。直下では2メートル56センチ、開成町でも30センチから60センチと言われます。

降砂の本当の恐ろしさが判るのは、噴火の翌年の6月です。山から流れ出てきた砂や堆積した砂で河床が上がり大洪水を引き起こしました。

足柄平野を南北に流れる酒匂川は延長46キロで400メートルの高低差がある急流河川です。山間部から平野に流れ出る場所が治水の難所です。

山北町の岩流瀬、南足柄市の大口がこの場所にあたります。この2カ所で土手が切れました。梅雨時期の大雨が原因でした。

ここから苦難の時期が続きます。土手が締め切られたのは、1726年のことです。それ以降も1734年に大洪水が起こっています。

上流部が安定するようになると洪水は下流部で発生するようになります。30年以上かかってようやく現在の流路となりました。

宝永噴火の影響は現在でも続いていることを忘れてはなりません。2007年9月のゲリラ豪雨によって酒匂川に架かる十文字橋が落ちました。

2010年10月のゲリラ豪雨では河川敷の公園は冠水し下流部の小田原市内では越堤寸前まで行きました。

上流部から宝永噴火の時の砂が大量に流れてきました。スコリアといわれる黒い砂で処理に困ります。現在でも宝永噴火は影響を与え続けています。

今また富士山の噴火の可能性が取りざたされています。富士山噴火に関する防災訓練も実施されるようになりました。

しかし、降砂のことは盛んに言われますが洪水について本格的な検討がなされていません。歴史の教訓からすればこれはまずいです。

赤色立体地図が講演で紹介されました。航空機レーザーによる観測データを尾根は明るく谷は暗く、急傾斜ほど赤く画像処理しました。

まるで赤色富士のような立体画像となります。微妙な高低差が色で示されますので水や溶岩の流れる方向がある程度見通せます。

こうした新技術を活用して富士山噴火による洪水への備えが急務です。酒匂川で言えば2つの県にまたがっていますので調整が不可欠です。

国の出番です。国の指導力で2つの県と関連するすべての市町、すなわち流域の市町を集めて流域単位で備える体制づくりが不可欠です。