超熱血消防長の叙勲受章パーティー

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(須谷元足柄消防組合消防長 叙勲受章祝賀会で)

7日、足柄消防組合の元消防長の須谷美實さんの叙勲受章記念祝賀会が大井町でありました。参加者120人が喜びを分かち合いました。

須谷さんは定年で職を退いてからまだ4年目です。驚くほど若い叙勲受章です。それと参加された皆さんの顔ぶれが多彩でした。

関係する市町の首長、県議会議員といった来賓や消防関係だけでなく警察や防犯ボランティア市民の皆さんも大勢参加されていました。

須谷さんは本当に義理堅く消防長だった当時、消防組合の執行者だった首長にまで声をかけてくれました。私もその1人です。

須谷さんには鮮烈な思い出があります。2009年の消防長就任をめぐってです。来賓の大井町の間宮町長が挨拶で暴露していました。

1市5町からなる足柄上地域はもちろん小田原辺りまで須谷さんの名前は通ってました。防災、防犯の熱中先生ならぬ熱中職員としてでした。

24時間戦えますのスーパーモーレツ職員です。防災や防犯ですのでいつ呼び出しがあるか判りません。常に備えていました。

須谷さんはいち早く「暫(しばらく)金時隊」という防犯市民グループを南足柄市で立ち上げました。名前もユニークです。

市内各地域の自治会の役員の皆さんのところに足繁く通って説得しなければそう簡単には組織化はできません。須谷さんが最大の功労者です。

地元消防団にも絶大な信望がありました。こうした人物が消防長になれば消防に新風を吹き込むことができるのではないかと期待しました。

ところが障害がありました。国の方で消防長に就任する場合の基準を定めていました。条件をクリアーできないところがあったのです。

市職員から転じる場合、市の部長クラスを一定期間務めていることとされていて須谷さんは半年その基準に達していませんでした。

消防と全く無関係な部署であっても一定期間職に就いていればOKで、防災のプロ職員であっても部長でないとダメということでした。

足柄消防組合は1市5町で構成していました。当時たまたま私が組合長でした。私の決断で基準を無視することにしました。

時代遅れの基準に縛られ有能な人材を消防長に据えられないなんておかしいと肚をくくりました。案の定、後で問題になりました。

国の基準の方がおかしいと突っぱねました。結局、国の方が折れて各地域で消防長の就任の条件を決めることができるようになりました。

私が国といわばやり合うことができたのは2つの大きな理由があります。1番大きいのは、須谷さんの仕事ぶりです。

私が泥を被ってでも何とかしたいと思わせるものを須谷さんは持っていました。須谷さんの実績が私の行動の原動力でした。

私の方が須谷さんのような人物と巡り合えたことに感謝しなければなりません。私はあいさつの中で須谷さんにそう伝えました。

もう1つは須谷さんの消防長就任のエピソードに触れた間宮町長を始め首長の皆さんが容認してくれたことです。

1人でも堅いことを言われてしまっては話が進みませんでした。当時の首長の皆さんの懐の広さにも大変感謝しています。