徐福研究会で禹王(うおう)の国際学会を紹介
先週、18日横浜駅西口のかながわ県民センターで「神奈川徐福研究会」の集まりがありました。二か月に1度、20人ほどが参加されてます。
発表のレベルは高く、毎回新しい参加者がいられてびっくりしています。謎の渡来人、徐福への関心は結構高いです。
秦の始皇帝が広大な中国全土を統一したのは紀元前221年です。始皇帝の命を受けて不老長寿の妙薬を探しに渡ってきたのが徐福です。
徐福研究は全国に広がり5月22日、23日の両日徐福の渡来伝説のある佐賀県で「徐福国際シンポジウム」が開かれるまでになっています。
徐福の渡来伝説は、紀伊半島和歌山県の新宮市が有名です。それと世界遺産となった富士山周辺も渡来伝説のメッカの一つです。
神奈川県でも藤沢市内の寺院に徐福の子孫と見られている墓があります。徐福の一族はの子孫は、「秦(はた)」を名乗ったとも言われてます。
神奈川県には、そのズバリの地名、秦野市があります。古代からの中国とのつながりは深いと見て間違いないと思います。
秦野市在住の郷土史家で神奈川徐福研究会の中心メンバーの前田豊さんは『徐福王国相模』という著書を出版しています。
もうお一人神奈川徐福研究会の中心メンバーに池上正治さんという作家がいられます。東京外大で中国語を学ばれました。
中国に再三に渡って出かけられて徐福に関する調査を続けらてます。5月2日に神奈川の徐福伝説の残る秦野市の本町公民館で講演会を開きます。
私は、18日の会合で徐福のことではなく治水神・禹王の話しをしに出かけました。東アジア文化交渉学会の案内のためです。
日本と治水神・禹王との関係を再発見したのは足柄の歴史再発見クラブです。遺跡や地名が全国に広がっているのを突き止めました。
治水神・禹王は徐福の時代より更に1800年ほど遡った時代の話しです。中国最初の王朝「夏(か)」の創始者が治水神・禹王です。
中国の古代史は「夏」から甲骨文字で有名な「殷」、「周」、春秋戦国時代があって秦の始皇帝の中国統一へとつながります。
最近中国では考古学的調査に非常に熱心です。「夏」の存在は、河南省安陽市での発掘調査で立証され国際的にも認知されるようになりました。
禹の存在はまだ実証されていません。伝説の人物のままです。司馬遷の「史記」に書かれていますのでいずれ実証される時が来ると思います。
徐福の国際シンポジウムが行われるのと同じ5月に開成町で治水神・禹王をテーマの1つとする国際学会が開催されるのも何かの因縁です。
治水神・禹王と徐福、ともに伝説の人物ですが日本と中国とのつながりを考える際に外すことのできない人物です。
かたや中国最初の皇帝で日本でも尊敬される治水技術者です。かたや日本に中国の先進技術をもたらした集団のリーダーだと言われます。
こうした古くからの日本と中国との結びつきに目を凝らし数千年の長い年月を経て今があることを知る必要があります。