追悼、リー・クアンユーシンガポール元首相

(リー・クアンユー回顧録 日本経済新聞社 アマゾンHPより)

シンガポールの建国の父、リー・クアンユー元首相が死去しました。91歳でした。小国を世界に冠たる経済大国に育て上げた偉人です。

シンガポールの国内総生産はIMF=国際通貨基金のデータで2013年およそ3000億ドル、日本は4兆9千億ドルです。

人口一人当たりに換算するとシンガポールは5万5200ドルで世界8位、日本は、3万8400ドルで24位です。

シンガポールは、シンガポール島と小さな島からなる島しょ国家です。シンガポール島は日本の淡路島ぐらいの大きさです。

540万人が住んでいます。人口密度は高く世界ランキング2位です。人も呼び寄せ小さくてもキラリを実現した国だと言えます。

この国を引っ張ったのがリー・クアンユー元首相です。イギリスの植民地であったシンガポールを1965年に独立国家として建国しました。

31年間首相の座につき国家を運営しました。その成果は先ほど紹介した数字に全て現れています。アジアの超人の1人です。

1998年2月に開成町長に就任した私はシンガポールの国家としての歩みを開成町にオーバーラップさせました。

東南アジアの島しょ国家と神奈川県西部の平野の真ん中の神奈川県一小さな町とを結びつけるなんて変だと思われるかもしれません。

しかし、私には同じイメージが浮かんで来ました。小さくてもキラリと輝こうというその精神は全く同じだと思いました。

シンガポールがマレーシアから分離独立した1965年は開成町にとっても画期となる年でした。町内全域を都市計画区域とした年です。

乱開発を避けて環境と調和した形で町づくりを進めようと宣言したのと同様です。この決断が開成町の発展の起爆剤です。

町長に就任した私は、シンガポールの国家運営の研究書や功なり名を遂げていたリー・クアンユーの自伝を読み込みました。

町をきれいにするところからスタートしたのを知りました。クリーンな町づくりです。直ぐに開成町にも取り入れました。

リー・クアンユー元首相は自らシンガポールの清掃活動を手掛けました。痰を吐いたりごみを捨てたりすれば厳罰で対処する徹底ぶりでした。

私も可能な限り早朝役場に行く道でゴミ拾いをしながら通いました。町職員にも役場周辺のゴミ拾いを要請しました。

シンガポールは美しい街並みを創ることで投資を呼び込み観光客を引き寄せました。同じ手法を開成町でも応用しました。

田園に咲き誇るあじさいの町のPRを徹底しました。景観が美しいことで注目を集めようとした訳です。古巣のNHKにも良く出かけました。

美しい町に相応しい企業誘致をしようと富士フイルムの市先端の研究所の誘致一本に絞り成功しました。シンガポールの戦略的企業誘致の応用です。

シンガポールは教育にも力を注いでいます。これも応用させてもらいました。新設の小学校をいち早く用意して教育の基盤づくりをしました。

水や食料といった生存の基本的条件が無い小さな都市国家が知恵を絞りに絞り自立して行こうとする姿勢は学ぶべきところが大いにあります。合掌