治水神・禹王研究会
早朝、6時15分小田原発の新幹線に乗って京都に向かいました。佛教大学で開催された第2回治水神・禹王研究会に参加するためです。
朝早くに出たのは訳があります。京都御所が一般公開中です。御所の襖絵をこの目で直接見て見たかったからです。
御常御殿と言われる天皇が日常の生活をしていた場所に「大禹戒酒防微図(だいうかいしゅぼうびず)」という襖絵があります。
治水神・禹王の伝説を題材にした襖絵です。御所が再建された江戸時代末期の1855年に鶴沢探眞(つるざわたんしん)が描いた作品です。
中国最初の王朝「夏」の創始者と言われる禹は、献上された酒を飲み余りの美味しさに飲み過ぎて酔ってしまいました。
禹はこのような美味しい飲み物を飲んでは仕事に支障が出て国を亡ぼしてしまうと考えて酒を造った職人を遠ざけたという伝承があります。
襖絵は禹に酒を献上する職人の姿が描かれていました。最初に飾られたのは17世紀に遡り天皇自らの戒めとして禹の伝説を選んだ可能性があります。
今回の治水神・禹王研究会の特別講演は京都大学人文科学研究所の岡村秀典さんでした。考古学で中国の古代史を研究されている第一人者です。
岡村さんは2007年8月に講談社学術文庫から『夏王朝』という著書を出版されてます。司馬遷の史記に書かれた夏の謎に迫っています。
中国河南省安陽市の二里頭遺跡などの発掘調査の結果から「夏」が実在したことは間違いないと認められるようになりました。
岡村教授は甲骨文字で有名な殷より前に夏という王朝が存在しました。ただ、初代皇帝とされる禹が実在したかどうかについては懐疑的でした。
後々の王朝が徳の高い皇帝として尊敬を集めていた伝説の人物を自らの正統性を強調し権威づけに使ったと見ていました。
伝説が伝説を呼び手の届かない神の領域に達し治水課として崇め奉られるようになったということだと理解しました。
講演終了後、岡村教授に京都御所の「大禹戒酒防微図」について質問しました。天皇家も禹を権威づけに活用しよとしたかどうかを伺いました。
即座に違うと思うと答えられました。江戸時代は中国儒教に対する尊敬の念が強かったためですかと聞くとそう思うと答えられました。
治水神・禹王の名が日本全国各地で石碑などに刻まれています。伝説の皇帝が天皇家でも高く評価されていたことは特筆されます。
岡村教授の講演の後研究会員5人から発表がありました。治水の難所に禹王ありという感慨を改めて持ちました。
特に岐阜県海津市です。揖斐川、長良川、木曽川の木曽三川に囲まれた治水の難所中の難所の地域です。ゼロメートル地帯です。
旧家の軒下には船が備えてあったり土盛りをしその上に避難所を作ったり洪水との戦いの歴史を伺わせています。
江戸時代に製作された禹王の木造や掛け軸もあります。地元で「禹王さん」と呼ばれている灯ろうもあります。
(資料館HPより)
何より石垣を高く積みその上に建築した歴史民俗資料館が立派です。水害時の避難場所にもなっているということでした。
治水神・禹王と治水の歴史の探求はまだまだこれからです。治水は現代的課題です。私の一大研究テーマとして取り上げる考えです。