「地方」と「地域」、似たような言葉ですがその意味するところには大きな違いがあります。昨日の神奈川大学の講義で学生に語りかけました。

私の講義は、「地域政治論」であって「地方政治論」ではありません。では、その違いの根本はどこにあるのでしょうか。

「地方」という言葉の背後にはその反対語である「中央」が存在します。「中央」がなければ「地方」は存在しません。

「中心」と「周辺」と言い換えても良いですし、もっと単刀直入に「都会」と「田舎」といった方が判り易いかもしれません。

「地方」という言葉を使うことは、上下関係やコンプレックスが潜在的にあります。中央の優越感に対すひがみ根性もあるでしょう。

こうした悪感情を一掃しない限り本当の活性化は図れません。そこで持ち出した言葉が「地域」という用語です。

「地域」となると東京のような大都会であると高齢者ばかりになって限界集落と言われるようなところにでも適用できる言葉です。

上下関係は雲散霧消します。どこもかしこもその場所なりの課題を抱えていて力を合わせなければ問題解決はしないという意識を醸成します。

しかし、中央は常に優越していて恵まれない地方に施してあげるという構造が根強く存在します。俗に言うバラマキを誘発し易いです。

ばらまかれる側もおねだりすれば与えられるということで自らの頭で真剣に考えることを怠るくせが身に付いてしまいます。

こうした構造が日本社会を覆っていると言っても過言でない側面は否定できません。いつまでたっても真の活性化が実現しない要因の1つです。

「地方」が奇妙にへり下りおねだりを求め続けている限り「中央」にとって「地方」御しやすいです。せいぜい駄々っ子レベルです。

「地方」が自らの主体性を取り戻すようになると「地域」の将来は自ら選択し困難があっても自ら解決していくという風に意識は一変します。

こうした意識転換が沖縄で急速に広まっていると思えてなりません。辺境の地であった沖縄が自らの主体性を取り戻そうとしています。

「中央」に対する「辺境」、「地方」という意識を超えて困難であっても自らの未来は自ら選んでいくという決心が伺われます。

今回の統一地方選挙の最大の焦点は実は「中央」に着き従うだけの「地方」意識の転換ではないかと思うようになりました。

「地方」が「地方」意識を脱却しようとすればおねだり根性は消えて自らの地域課題を自ら解決しようとする姿勢に転じます。

統一地方選挙の詳細を把握することは困難ですが「地方」を「地域」と捉え直して戦っている選挙区もかなりあるのではないかと推測します。

「中央」の姿勢がどのようなものであっても「地域」の課題は「地域」が皆で考えて行くという姿勢で対峙している選挙区です。

そうした選挙区では、政党色を脱した候補者が地域の代表として戦っていると思われます。こうした選挙区の結果に注目したいです。

「地方」の側が「中央」に従う存在であるというのが一般的である風潮の中にあって有権者の意識がどうなのかというバロメーターになるからです。