大阪都構想革命ならず。
17日に投開票が行われた大阪都構想をめぐる住民投票は、開票の進行もデッドヒートでした。当初、反対がリード、直ぐに賛成が逆転。
途中でニュース速報が出て、反対が勝利となりました。しかし、実際の開票結果を伝える画面は、賛成の方が数が多いままでした。
最終盤、開票率が100パーセント近くになってようやく反対票が多くなりました。最後の最後まで興味を持たせました。
昨今の選挙の開票は出口調査である程度の傾向をつかみ開票開始と同時に当選確実が出ます。開票のドキドキ感は失せることが多いです。
しかし、今回の住民投票は、大接戦でしたのでメディア各社も予測で当確は打つことができず開票結果を待つしかありませんでした。
開票が速く進む選挙区、時間がかかる選挙区のばらつきが途中経過に反映しました。選挙区によって賛成反対の色分けがはっきりしてました。
大阪湾岸地域や大阪市南部では反対が多く中心部では賛成が多かったです。都構想は中心部が有利で周辺部は不利と見られた可能性があります。
投票率は67パーセントでした。有権者211万人の巨大な住民投票は見事に遂行されたと思いました。結果は、都構想は、ノーでした。
705585票対694844票、ほぼ拮抗と言って良いです。しかし、反対多数という事実は事実です。都構想は潰えました。
橋下大阪市長は直ちに事前に意思表示した通り政治家を辞めると記者会見で言明しました。大阪市民への約束ですので当然です。
2009年6月、地方分権改革が盛り上がっていた頃、私は当時の橋下大阪府知事らと首長連合を結成しました。
何度も意見交換会で同席しました。弁護士ですので弁が立ちます。議論の術を心得ていてきついことを言いながら妥協ラインも探っていました。
発信力のすごさとしたたかさに驚きました。その一方でメディアを徹底的に活用する手法には危険性を感じました。
2009年の秋、足柄の歴史再発見クラブの面々と大阪淀川の治水神・禹王遺跡を視察に行った際、橋下大阪府知事を表敬訪問したこともあります。
治水神・禹王の治水の勉強に来たと橋下知事に伝えたところ、歴史や文化面の活動を町民と一緒にするのはごいですねと言われました。
橋下知事は硬派の課題で突っ走りますので歴史、文化、教養といった分野が弱点であることを本人は十分認識していました。
住民投票の話しに戻ります。橋下市長は、限界を感じていてやるところまでやって身を引きたいという思いが強かったのではないかと思います。
住民投票をめぐる強引さは半端ではありませんでした。一気に大阪市を潰して5特別区を設置し2017年4月からスタートさせるのは無茶です。
それでも突進したのはダメでもいいやという気持ちがあったのではないかと思うのです。きつい言い方をすれば自爆による強烈な一石です。
橋下市長の残り任期の半年が大切です。民意はほぼ拮抗したという投票の重みを受け止めて行動することが何より大切です。
騒がせて終わりでは市民は納得しません。大阪府と大阪市の2重行政の解消への道筋をつけて引退をする責任があります。