富士山噴火、砂地獄に備える。

2015/ 6/ 5 13:33

2015/ 6/ 5 13:33

(北原糸子 立命館大学歴史都市防災研究所 研究員)

昨日、災害史研究の第一人者で吉川弘文館から『日本災害史』の編集責任者になられている北原糸子さんが開成町に来られました。

酒匂川の治水の難所中の難所である大口と岩流瀬の一帯を直接この目で見たいということでした。足柄の歴史再発見クラブとしてご案内しました。

当初は、東アジア文化交渉学会の終了後の現地見学会に北原さんから参加の申し込みがありました。北原さんの名前を見てこちらがビックリしました。

北原さんには改めてご案内しようということで昨日の勉強会になりました。足柄の歴史再発見クラブの佐久間俊治会長ら4人で応対しました。

顧問の大脇良夫さんから1707年の富士山噴火とそれ以降の治水に関するこれまでの研究成果を北原さんに説明をして意見交換をしました。

足柄の歴史再発見クラブが富士山の噴火から300年の節目に出版した『富士山と酒匂川』の出来栄えにお褒めの言葉をいただきました。

北原さんのような災害史研究の第一人者から褒められるのは大変光栄です。小学4年生でも判るようにという編集姿勢が良かったと思います。

北原さんとの話し合いで一番の成果は富士山の噴火がもし近未来にあったらどうするかという問題意識を再確認したことです。

大脇良夫さんは砂地獄と表現されました。砂地獄に対する具体の方策が無い限り限り富士山噴火への対応は絵に描いた餅となってしまいます。

300年前は富士山に近い御殿場や小山では3メートルの砂の堆積があったのです。開成町の北部でも50センチから60センチです。

遠く離れた江戸でも数センチから10センチ近く積もりました。荒井白石が『折りたく柴の記』の中で記しています。

「江戸城内は灰で白い。昼だが燭台を使う。」と書かれています。夜の様にろうそくを灯さなくてはならない様子が判ります。

神奈川県西部は降砂の直接の被害に加えて山から雨のたびに河川に流れ出る砂によって河床が上がり大洪水に悩まされました。

古文書には高台に逃げて苦難の避難所暮らしを余儀なくされた様子が描かれています。災害難民です。長期に渡り続きました。

ようやく土手が締め切られたのは噴火から19年後の1726年です。その後も大洪水は発生しています。影響は半世紀を超えています。

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(山北町 藤井俊治 さん 撮影)

近未来、富士山が噴火したら同様の被害を考えなくてはなりません。いかに技術が発展したとはいえ対応は困難を極めます。

噴火の砂による河川の洪水に対する備えは明確に論議されていません。降り積もる砂をどう処理するのか具体策は共有されてません。

上流にはダム湖もあります。そこに砂が流れ込んだらどうなるのか恐ろしい事態になりかねません。シミュレーションが不可欠です。

どうしたら被害を小さくできるのか英知を結集しないとなりません。国が音頭取りして対策を再検討する必要があります。

砂地獄への備えです。私たち民間レベルでも行政に積極的に働きかけることが大切だと思います。早速行動に移そうと思います。