「徐福伝説」から考える日本文化論

27日の土曜日、新横浜の中華料理店で徐福の講演会を開きました。徐福は2200年前不老長寿の霊薬を求めて日本に渡ってきた人物です。

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徐福の研究を始めて20年余り講演回数が135回目という作家で翻訳家の池上正治さんにお話しいただきました。

主催は日中歴史文化交流センターです。昨年5月私が仲間と一緒に立ち上げた団体です。総会を兼ねて講演会を開きました。

中国の歴史と文化に関心を持ち研究しているグループの交流を深め、昨今関係が芳しくない日中の友好のお手伝いをしようと思ってます。

司会役を務めた私が「徐福伝説」と紹介したところ池上さんからダメ出しされました。司馬遷の『史記』に記載されていると言われました。

『史記』の記述の正確さは評価が定まっており中国国内においては徐福は伝説ではなく史実として扱われていると言われました。

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徐福にまつわる伝承が今も伝わり祭りなどが行われている地域を池上さんは紹介されました。中国全土、台湾に広がってます。

驚いたのは中国東北部、旧満州の遼寧省でも徐福の痕跡が残っていることでした。徐福がこの地から出航したという遺跡があります。

揚子江の下流部に当たる江蘇省は徐福の生誕地とされています。日本の徐福ゆかりの地との交流が盛んです。

中国を出た徐福一行の中継地点として有力なのは韓国の済州島です。徐福を祀る祭典が今も実施されています。

そして日本です。こちらも全国に広がっていることがわかります。西の中心地は佐賀県です。徐福を祀る神社が多数存在します。

もう1つの拠点が和歌山県新宮市です。徐福の墓や神社、公園も整備されています。市民の中に徐福が根付いているということです。

更に東に行くと静岡県の富士吉田市には徐福の祠や地蔵、塚があります。富士山と徐福はつながりが深そうな感じです。

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東北地方にもあります。秋田県の男鹿半島には徐福塚が再建されました。江戸時代の記録塚を基礎資料にして復元したということです。

北海道では旭川の秦家に徐福を祖先とする家系図が残されているということです。日本国内の広がりに正直驚きました。

中国が徐福に深い関心を寄せる背景には優れた文化や技術を日本に伝えた人物という意識があるのだと推測します。

一方受け入れた側の日本でもその文化や技術の伝達に感謝していることが伺われます。そして現在もその精神は受け継がれてます。

古代において最先端の文化、技術は中国から発して朝鮮半島を経由して日本のもたらされたという事実はしっかり認識しなくてはなりません。

この事実を素直に見つめれば世界4大文明の1つである中国文化や技術の偉大さに尊敬の念を抱かざるを得ません。

一方、日本は文化、技術の面で低位の国かというと全く違います。翻弄されることなく受容できるだけの素地が存在していました。

この点が日本の極めて優れた点です。瞬く間に自らのものとする術を知っているのです。日本風にアレンジすることもやってのけます。

本家をしのぐまでに文化や技術を発展させることもできる能力を有しています。しかしどこが発信元なのかという原点を忘れてはなりません。