クリーンな町づくりから国づくりへ

今日は、午前8時より河川の清掃ボランティアの日です。先週の日曜日雨でしたので一蹴間延びまし。開成町の町内で一斉に実施されます。

私の前の山本町政の時に「安全クリーン開成」というキャンペーン活動がありました。その柱の一つが町内の河川の一斉清掃でした。

私もこれを引き継ぎ現府川町政まで続いています。開成町は水が豊かで町内を水路が張り巡らされています。町を代表する景観の一つです。

町を美しく保ち景観を守ることは町づくりの原点だと思います。ここにこだわりを持つかどうかは町づくりの分岐点だと私は思っています。

ただ、掃除するだけではないかと思われるかもしれませんがとても重要です。町を美しく保てば汚す人も少なくなります。良いほうに歯車が回ります。

「割れ窓理論」という考え方があります。窓ガラスが割れたりして荒廃した町は更に汚され荒れて行くという考え方です。私も同感です。

いたちごっこになってしまうと思われるかもしれません。しかし、汚れた場所をすぐにきれいにしていくことが大切です。機敏な動きは行政の責務です。

行政だけでは手に負えません。住民の協力が必要です。こうした活動に労を惜しまず参加してくれる住民がどれだけいるのかはその町の民度のバロメーターです。

美しい町づくりは地味です。でも奥の深い取り組みです。この分野にこだわりを持っているのかどうかは町づくりの根幹にかかわる事柄です。

一国全部に美しい町づくりならぬ国づくりを展開したのはシンガポールの故リークアンユー首相です。国づくりを清掃活動から始めました。

痰を吐き、ゴミを捨て放題だった国を国民を駆り立てて清掃活動に当たらせました。厳しい罰則を課しました。そして国全体を公園のようにしました。

シンガポールは淡路島ぐらいの面積しかありません。リー元首相は清掃活動からスタートして世界有数の商業都市国家にまで持って行きました。

日本でリー元首相のように強権発動はできません。しかし美しくすることにこだわるところから国づくりを始めた発想は大いに参考にする必要があります。

町がきれいであることはその町の文化の一側面です。文化はその町の光です。光を観ることを観光と言います。本当の観光は文化を観てもらうことです。

2020年、オリンピックが再び日本にやってきます。世界から日本に人が押し寄せます。日本の文化、すなわち光を観てもらう絶好のチャン到来です。

本来準備すべき大きな柱は美しい国であることをいかに発信するかです。日本全国どこに行っても町が美しく保たれているかどうかに関心を持つべきです。

日本文化というと歌舞伎や能や生け花といった芸術に目が向きがちです。普通の暮らしぶりに対してもっと注目する必要があります。清潔できれいであるかどうかです。

日本中どこでも住民が美しい町づくりにこだわり率先して清掃活動を行っている姿を外国人が見たならば驚嘆するに違いありません。国を挙げて取り組むべきです。

どこに行ってもゴミ一つ落ちていないような日本を観たらその力強さに畏敬の念を抱きます。そのような国を攻めようとはしません。安全保障にもつながります。