新国立競技場建設問題には都市計画の視点が欠如している。

千駄ヶ谷インテスからの風景(7月15日)

(新国立競技場建設現場 日本スポーツ振興会HPより)

私は、大学ラグビーのファンです。早稲田対明治の熱戦を毎年楽しみにしています。超満員の国立競技場で直接試合を観戦したことも何度もあります。

やっとのことでチケットを取り、国立競技場に並びました。その競技場が取り壊されてしまったことは人生の一こまも一緒に無くなってしまった気分でちょっと寂しいです。

新たな国立競技場の建設を巡っては、建設コストの激増がありすったもんだがの末、安倍総理大臣は現計画の白紙撤回を決断し、建設計画は振り出しに戻りました。

確かに1600億円が2520億円に跳ね上がりしかも当初予定していた開閉式の屋根は先送りというのですから舛添東京都知事の言う通りべらぼうです。

責任の所在が不明確で誰が最終責任を負うのか分からない構図があり、建設コスト問題が深められなかったことが根本の原因だとする論調が目立ちます。

安倍総理大臣が白紙撤回の決断をした後の責任ある立場の人たちのコメントを聞いていると指摘は当たっていると私も思います。皆で責任逃れをしています。

 

下村文部大臣の責任逃れは見苦しいだけです。自分に全責任があると明言し全ての泥を被る覚悟がありさえすればどうってことないです。なぜ逃げるのでしょうか。

森元総理大臣も今頃になって斬新なデザインを好きではなかったと言い放っています。怒りを通り越して笑ってしまいます。総理大臣経験者として嘆かわしいです。

安倍総理大臣の白紙撤回は妥当な判断だと思います。オリンピックまであと5年のぎりぎりのタイミングで一から出直しの決断をしました。

私は新国立競技場の建設問題が迷走した根本は責任の所在問題のほかにもう一つあると思います。都市計画的な視点が欠如していることです。

新国立競技場の建設といういわば点で捉えていて周辺地域を面的にとらえて神宮外苑アリアの都市計画をどのように考えるかという面的な視点がありません。

点で捉えるから斬新なのか奇妙奇天烈なのかという議論に陥ってしまいます。神宮外苑エリア一帯の都市計画として新東京国立競技場の建設を捉える必要があります。

神宮外苑地域一帯の街づくり構想がありそれに基づいた都市計画がありその計画を充実させるための手段として新国立競技場の建設があると見る必要があります。

今東京はどのような建物を建てるにせよ首都直下型の大地震への備えと無関係ではいられません。被害を小さくするという視点が不可欠です。

神宮外苑エリア一帯を緑のゾーンとすることを基本とし新国立競技場、神宮球場、秩父宮ラグビー場といった各種競技施設を避難場所として位置付けるのは当然です。

こうした観点から新国立競技場建設問題を捉えると緑の景観とマッチするのか否か、避難場としての使い勝手は良いのかどうかこんな視点が浮上してきます。

白紙となったイラク人女性建築家の斬新な案は行き過ぎです。しかし開閉式にするのかどうかは屋根がなくては避難所となりません。屋根は、不可欠の設備です。

以上のような観点でもう一度議論し直して欲しいものです。国を挙げての事業になるのですから方向性が決まったならば東京都も含めて全面協力するのが大切です。