私の大和魂スポーツ論
ラグビー日本代表の不動のナンバー8は、ホラニ龍コリニアシ選手です。このポジションは身体能力と機動力を求められるフォワードの要です。
トンガ出身で日本に留学し日本国籍を取得しました。大学、社会人とラグビー一筋です。極太の二の腕に「大和魂」と刺青が彫ってあります。
15日の世界選抜戦でも出場してました。テレビ画面に「大和魂」の三文字が映ってました。日本のために死力を尽くす決意の証しだと思います。
ホラニ先週の心意気は十二分に判ります。しかし、違和感も覚えました。筋骨隆々の身体と「大和魂」という言葉が似合わない感じがしました。
「大和魂」は、強じんな精神力を言い表す言葉であると同時に日本人の持つしなやかで繊細な心性も同時に有しているからです。
特攻精神、敢闘精神だけではないと思います。戦前の一時期は極端に精神力ばかりを強調し過ぎて国家全体が誤った方向に突っ走りました。
江戸時代の代表的な国学者である本居宣長は、大和心を象徴する樹木として朝日の山桜を挙げています。素朴でさわやかで気品と美しさがあります。
繰り返しになりますがホラニ選手の気持ちは痛いほど判ります。でも「大和魂」を正確に捉えていないと思わざるを得ません。
格闘技に近い要素を持つラグビーであっても「大和魂」が求めているのは捨て身の敢闘精神に加えて美しを感じさせる技量も求めていると思います。
ホラニ選手には全く罪あありません。日本人が「大和魂」を正確に伝えられなくなっているのが原因です。日本の心の原点なのに残念です。
正確に理解し日本人が体現することを肝に銘じませんと日本の根っこが細ります。「大和魂」は、スポーツの在り方にも一石を投じます。
勝ち負けだけゲームだとは捉えません。競技を通じて人格を高めることにも重きを置きます。その意味を表現している言葉が「道」です。
柔道、剣道、弓道、「道」と付いています。オイゲン・ヘリゲルというドイツ人哲学者の書いた『日本の弓術』という本があります。
大正末期から昭和の初期に来日していたドイツ人研究者が日本の弓術が単なる技術を習得して上達する競技ではない驚きをまとめています。
弓術の達人である師匠から無心になれ、弓矢と一体になれと指導されてもドイツ人の合理的な考え方からは全く理解できません。
弓術は技術を越えたところにあることを体得して始めて完成の域に達することを知る思考過程が書かれています。弓術の本質は、術ではなく道なのです。
伝統的な日本の競技だけに「道」の思想はあるのではありません。欧米からの入ってきた様々なスポーツにおいても適用されます。
「野球道」という言葉もあります。野球を通じて人間性を高めるという日本精神です。これも私は大和魂の発露の一側面だと思います。
高校野球は、その年齢から行って「野球道」の典型であって欲しいと私は思います。勝ち負けを越えた礼儀作法、道具の扱いにこだわって欲しいです。
夏の甲子園大会は、100回目を迎え今日決勝戦です。空模様が心配ですが「野球道」の観点からも節目の大会に相応しい試合を期待したいです。