禹王(うおう)その後

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(中国河南省登封市禹王石碑の拓本)

20日、東京で株や投資など経済に関心を持つ小さな勉強会に呼ばれ話しをしました。タイトルは、「禹王その後」でした。

依頼者の方からテーマの指定がありました。3年前の9月に開成町の町づくりの話をして、その際に禹王を取り上げました。

前回は、開成町長時代の取り組みの話でした。その後禹王の活動はどんな展開をしているのか聞きたいということでした。

初めて禹王の話を聞かれる人もいられましたのでこれまでの活動の流れをざっくりと説明しました。まずは開成町の説明をしないといけません。

名前を聞けば一発でイメージが涌く地域に住んでいられる方にはこの苦労は判らないと思います。どんな町かを理解してもらうのは結構大変です。

私は、受験有名学校の開成高校を使わせていもらい名前が同じなのは名前の由来が同じだからだという解説から話を始めました。

中国儒教の古典「易経」の「開物成務(かいぶつせいむ 知識を開発して務めを為すこと)」から名前をとりました。ユニークな町名です。

開成町は明治に作られた小学校の名前に「開成」の二文字が冠せられて1955年の町村合併の時に小学校の名前が町名となりました。

地名から町名を採用していない町は珍しいと思います。しかも中国の古典からかの有名な受験学校と同じ名前というのは関心を引きます。

以上のような町の背景を説明して禹王の話に入ると聞いている皆さん興味関心をそそられます。講演する際のちょっとした技です。

富士山の噴火とその後の徳川幕府直轄の治水工事、将軍は徳川吉宗、川崎宿の名主だった田中丘隅の登場。話題には事欠きません。

最後の最後が禹王です。中国の伝説の初代皇帝で黄河の治水に功績があって治水神とされている「文命」を祀った祠と石碑を建てました。

全国で100近くの遺跡や地名があり2010年11月に開成町で第一回目のサミットが開かれ来月大分県臼杵市で五回目が開かれると話しました。

中国の民間の郷土史研究者たちとも交流が始まり今年の5月には開成町で国際学会が開かれて主要なテーマの一つに禹王が取り上げられました。

聞いていられた皆さんも地道だが大切な取り組みをしていると大いに評価して下さっているように見えましたがお一人から厳しい質問が出ました。

日本側から禹王をテーマにした国際文化交流を仕掛けたところで中国の現在の体制や民衆に受け入れる余地は無く上手くいかないと言われてました。

中国の現況に批判的な考え方が背景にあるのだと思います。上手く行く行かないではなく日中関係を打開するためには行動が必要だと答えました。

相当の時間を要すると思います。しかし、出来ることを少しずつ積み重ねて改善の努力をしないことには何も変わりません。

中国はけしからんと言って反発するだけで終れは溝は深まるばかりです。それよりも互いの文化の共通基盤と違いを理解する行動が大切です。

治水神・禹王をテーマにした国際文化交流を手掛け始めた以上は継続することが使命だと思ってます。必ず花開くと確信してます。