禹王サミットin臼杵報告1
(大分県JR臼杵駅前石仏のレプリカ)
12日、13日と大分県臼杵市に行ってきました。禹王サミットに参加するためです。報復とも新幹線と特急列車でで移動しました。12時間ちょっと列車内で過ごしました。
JR臼杵駅に到着すると出迎えてくれるのは大きな石仏のレプリカです。臼杵は石仏の町です。岩肌に60を超える石仏が彫られていて国宝に指定されています。
山から臼杵川をはじめ三本の河川が臼杵湾に注ぎ狭い平野を形成しています。治水が難しい地勢であることが分かります。治水神禹王を祀った背景が理解できます。
臼杵市の禹王遺跡の特色は治水の神大禹(だいう)と農業の神の后稷(こうしょく)の2神を合祀しているところにあります。日本では臼杵だけです。
18世紀の初めから臼杵地方は度重なる水害に苦しめられました。疋田不欠(ひきたふかん)という地域のリーダーが中心となって新たな堤防を築きました。
堤防を築いたのが1720年で疋田不欠の功績を讃えて1838年に塚を立てています。いかに地元の人々の感謝の念が118年後に形になりました。
新堤防が築かれた後も水害やイナゴの害が続きました。臼杵藩の奉行と儒学者が中国の故事にならって洪水が鎮まることと五穀豊穣を願って廟を建てました。
こちらが大禹后稷合祀の壇です。厳しい藩の財政のため廟は建物の建設は為されず石を積み上げた壇となっています。隅に石碑が建てられています。
また壇に通じる参道の脇にも石碑があり壇を建てた経緯が彫られています。この一連の遺跡が建てられたのは1740年のことです。
9月の第二日曜日がお祭りの日です。子供たちの奉納相撲が行われていました。地域の皆さんが一つになって盛り上げているのが一目でわかりました。
石仏の町で江戸時代からずっと続く神事を見ることが出来ました。この町は祈りの町です。山の頂にもご神体が置かれ人々の信仰の対象となっています。
細い山道の辻辻には交通整理の人が立ってくれていて地域の皆さんが禹王サミットに参加した私たちを心から歓迎している真心がひしひしと伝わってきました。
サミットは中央公民館で行われました。3百数十人の参加者でした。臼杵市以外から100人以上の方が見えていました。禹王研究は全国に広がっています。
サミットは、2010年が開成町、2012年が群馬県片品村、2013年が高松市、昨年は広島市でしたが土砂災害のために資料集の発行飲みに終わりました。
そして今年の大分県臼杵市へと受け継がれました。再来年に山梨県の富士川町で開催することが計画されています。禹之瀬という地名が残っている地域です。
禹の遺跡や禹の名前が刻まれた石碑、禹の像などが確認されたのは全国で91ヶ所ということでした。2010年のサミットの時は18か所でした。増えました。
全国で中国の治水神禹王に深い関心を寄せ地道に研究を続けてこられている方々の存在を大変に心強く思いました。まだまだこれから発展すると確信しました。