鬼怒川堤防決決壊から酒匂川の治水を考える。3
国管理の一級河川の堤防が決壊したことについて国は深刻に受け止めて欲しいです。とりあえず修復し強固にすれば済む問題では絶対にありません。
大げさに聞こえるかもしれませんが国会の基本が揺らいでいるといっても過言でない由々しき問題です。治山治水は政治の基本中の基本です。
観測史上これまでにない豪雨というと歴史上最大だと錯覚してしまいます。気象庁が観測して統計を取り始めてからということに過ぎません。
長いスパンで災害を観る必要があります。近代的な観測をし始めてから最大の災害が歴史上最大の災害とは限らないということです。ここは絶対に誤解をしてはならない点です。
そうした誤解をすべて取り払った上で今回の鬼怒川堤防の決壊を見直した場合、治水のやり方を根本的に改めないと危険な状況にまで来ていることが判ります。
少なくとも記録に残っている最大級の災害に備えることに考え方を改めて100年に一度の確率の災害に備えているか大丈夫などという発想から脱却する必要があります。
もっといえば近代的な治水手法が導入された以前の発想に立ち戻って治水を考え直すことが急務です。計算の前提が成り立たなくなっているのですから当然です。
下手な計算で考えるより歴史を素直に見て最大級の災害が起こっても出来る限り被害を小さく食い止める方向に完全にシフトすることが求められていると思います。
最も大切なことは流域全体で治水を考えることです。国が統一的に管理している一級河川の鬼怒川ですら統一的な災害対応取れているようにはみえません。
国、二つの県、19市町それぞれ縦割りです。これでは強固な治水体制とはいえません。上流から中流、下流が一体になって治水に取り組む治水体制構築が急務です。
シルバーウィークに堤防が決壊した常総市には大勢のボランティアの方々が災害救援に駆け付けたと報じられました。休日なのにと頭が下がります。
ただ、地域外からのボランティアに頼っていては安定的な復旧活動はできません。流域内で応援し合う体制づくりが普段から出来ていることが基本にないとなりません。
流域内で助け合う体制があって不足する分野を地域外からのボランティアの応援を得るというのが本来です。今回の土手決壊を機に検討が必要だと思います。
流域全体で治水を考えるということになりますと上流部のダムの洪水調整から中下流部での堤防まで全体を見渡す視野と知識がないとなりません。
普段から流域全体で治水を考える体制がないと流域全体の総合的な治水を考える視野は育ちません。知識も身につきません。自分の市町域だけを考えていても治水はできません。
鬼怒川堤防の決壊は酒匂川流域の治水を考える上で教訓ばかりです。今すぐにでも行動を起こす必要があります。今のままでは手遅れになります。
酒匂川流域は富士山の噴火というリスクも抱えています。300年前の宝永噴火級の噴火が発生すれば噴火の砂による影響に加え洪水もその後に襲ってきます。
しかし、先人たちは乗り越えてきました。現代に生きる私たちは先人の教訓を活かし酒匂川流域全体で力をあわせ生き延びるための取り組みを今すぐ始めなくてはなりません。