安保の次は経済路線の時代錯誤

1960年6月19日日午前零時、米安保条約を改定の法案が成立しました。国会周辺は、安保条約改定反対を叫ぶ33万人のデモ隊が座り込みました。

この時は参議院の審議は一切行われませんでした。衆議院で警察を国会内の導入させて強行採決した議決を憲法の規定に従って優先させました。

条約の成立前の6月4日には、デモ隊が国会への突入、東大生の樺美智子さんが死亡する事件もありました。騒然たる雰囲気の中での安保条約の改定でした。

岸信介総理大臣は、安保条約の批准書の交換が終了した後の6月23日に総理の座を降り、内閣は総辞職しました。自身の首と引き換えの安保条約の改定でした。

岸総理の後に登場したのが池田隼人総理大臣です。「寛容と忍耐」をスローガンに岸信介前総理のタカ派イメージを払しょくしようとしました。

「所得倍増」を掲げてとげとげしくなった国民感情を和らげ関心を経済へと向かわせようとしました。政策転換は大成功を収め自民党の長期一党支配の土台を固めました。

安倍総理大臣も先輩の成功実例にならったのかもしれません。安保条約の成立の後は経済を前面に打ち出しています。国内総生産GDPを600兆円にすると宣言しました。

現在の日本のGDPは、およそ500兆円ですので100兆円増やすということは20パーセントのアップです。困難な目標を掲げたと驚きました。

まずは時代背景です。池田内閣が所得倍増を掲げた1960年の日本のGDPは16兆円です。現在の30分の1です。発展途上のただ中にありました。

こうした経済状況下で生きる日本人に所得倍増を呼び掛けるのは国民に夢を与え活力の元となります。現在の新興国、たとえば中国と同じです。

日本はすでに新興国の状態からはとっくの昔に抜け出しました。このところ低迷気味とはいえGDPは世界ランクで3位をキープしています。

量的に金額をさらに押し上げていくのだという目標設定が果たして正しいのか、また国民に受け入れられるのだろうかと首を傾げてしまいます。

GDPの20パーセントアップは実現可能性が乏しいです。道筋が見えません。高齢化が急速に進み毎年人口が数十万人単位で減少が予想されています。

GDPを押し下げる壁が立ちはだかっているのにどのようにこの壁を乗り越えるのか見えてきません。これでは総理の口かは発せられる言葉に相応しくありません。

量的に経済規模を増やすことに重きを置くあまり直面している危機への対策がおろそかになってしまっては取り返しのつかないことになってしまいます。

度重なる災害にそ安倍総理はもっと目を向けるべきです。安保法案が成立して軽井沢で静養しゴルフに興じる様子がテレビ画面で流れてました。

ひどく違和感を覚えました。国管理の一級河川の堤防が決壊して40平方キロ以上の明晰が水に浸かりました。政治の基本である治水が揺らいでいる証しです。

治水の在り方を根本から再検討する第一歩として土手の決壊現場を早急に見て欲しいです。足元から国家が揺らいでいるのですから現場に降り立つことから出直して欲しいです。