沖縄と小田原、歴史の共通性と差異から未来を占う。

中城城跡

(沖縄県ホームページより)

沖縄と小田原が歴史的に似通っているなどと書くと意外に思われる方が多いかもしれません。しかし、私にはそっくりに見えて仕方ありません。

両方の地域とも歴史上の最盛期は中世、戦国時代にあります。沖縄は琉球王国として中国や東南アジアや日本との中継貿易で栄えていました。

海洋上の地理的に優位でしたので自由な貿易国家だった訳です。小田原は、ご存じ北条早雲が覇者となってからの後北条時代がピークです。

暗雲が立ち込め出したのは近世に入ってからです。琉球王国は薩摩の侵攻を1609年に受けました。自由貿易国家の立場を失いました。

小田原は1590年に豊臣秀吉の小田原攻めで後北条氏は滅びました。1603年に江戸幕府が出来て小田原藩となり大久保氏が最初の領主となりました。

低落傾向の決定打は明治になってからです。琉球は、1879年に沖縄県となり。完全に明治国家の体制化に編入されました。廃藩置県が琉球にまで貫徹されました。

小田原も廃藩置県の結果、一時は独立の県として県庁所在地でしたが、最終的には、神奈川県に統合されて県庁は横浜に移りました。東西格差の始まりです。

沖縄のその後の歴史は惨憺たる危難を味わいました。先の大戦で地上戦の場となり敗れて強制的に基地用地を収用されてアメリカ軍の占領下に1972年まで置かれました。

小田原は沖縄と比べれば戦時下の苦労はあったとはいえ相対的に安穏な時代を過ごしたと言えます。戦後の歴史は両者は大きく様相が異なります。

極めて困難な歴史を歩んできた沖縄は今まさに歴史の歯車を動かす最前線の位置にいます。オール沖縄と言われる県民の力で政府と渡り合っています。

このオール沖縄のうねりは沖縄の自治意識の高揚につながることは間違いありません。沖縄の自己決定権を前面に打ち出して来ると思います。

自治を認める方向の中で基地問題の着地点がかすかにせよ見い出せるかどうかだと思います。沖縄が折れることはないと思います。時間はかかります。

小田原桜まつり

(小田原市ホームページより)

一方安穏な道のりを歩んできた小田原は沖縄のような決定的な争点はありません。その結果、危機意識は総じて薄く現状を変革するうねりは出ていません。

交通の利便性、歴史的な観光資源、美しい環境に恵まれている小田原の人口減少は顕著です。異常事態としか言いようがありません。

歴史をさかのぼってみればその真因は明確です。政治的に敗れたのです。中心地を横浜に奪われました。そもそもは豊臣に滅ぼされました。

反転しようと思うのならば政治的に結束して立ち上がるしかありません。周辺地域を巻き込んで広域拠点の中心として横浜に中央政府にたてつく気概が必要です。

無茶なけんかを仕掛けろと言っているのではなく県東部との圧倒的な格差をもたらしたのは政治的な力ですので堂々と対抗すべきだということです。

極端なピンチにある沖縄には逆に大きな自治を獲得する可能性があります。小田原はそれほどの危機はありません。しかし手をこまねいていると反転のチャンスを失います。