甲州流治水勉強会1
16日午前8時出発で夕方6時帰町。山梨県南アルプス市と甲斐市の治水施設を見学する勉強会に参加しました。神奈川県西部の天気は雨模様したが甲府盆地は青空が見えました。
足柄の歴史再発見クラブと酒匂川ネットワーク会議の合同の勉強会で24名の参加でした。案内は南アルプス市の教育委員会文化財課の斎藤秀樹さんでした。
文化財と治水施設が一体となっているところが素晴らしいです。治水施設で国指定施設になっているのは3ヶ所でいずれも山梨県にあるということでした。
それだけ山梨、甲府盆地の治水は困難を極めたということの証明でもあります。斎藤さんは東海大学の考古学の出身だということで秦野市に住んだことがあります。
神奈川県西部の土地勘も持っていて案内役として適任でした。の説明は熱ぽくて判り易かったです。治水の歴史を今に活かさなくてはならないという使命感を持ってます。
最初に訪れたのはいわゆる信玄堤です。旧竜王町、今は合併して甲斐市となっています。武田信玄が土手を築いたことで新たに誕生した集落です。
富士川の上流、釜無側に合流する御勅使川(みだいがわ)の流れを北側にずらして高岩という岩にぶつけ水勢を弱めた上で急角度に曲げました。
曲げた水の流れを制御するために新たに造った堤防が信玄堤です。甲府盆地の中心部を守るための一大土木工事でした。税を免除して農民を住まわせました。
その代わりに土手の管理と水害にあった後の普及に当たらせました。見事な知恵です。富士山の噴火に対する備えを考える際に応用が可能です。
膨大な流の砂が降り注ぎますので砂の置き場を事前に選んでおかなくてはなりません。その後に襲ってくる洪水を防ぐためには土手沿いが望ましいです。
平時に土手沿いの土地の所有者と話しあって平時は固定資産税を減免するか無税にして富士山が噴火し砂が降り注いだ時は砂置き場にするように契約すれば良い訳です。
釜無側の信玄堤は海に向かって左側です。左岸の堤防が強固になると右岸の堤防に影響が出ます。これまで以上の水流が押し寄せる訳ですので当然のことです。
何本もの堤防を河川に出っ張らせて何重もの防御態勢を構築してます。不連続の構造になっていますので大水の時は一時的な遊水地となります。
しかし水を防ぎ切れずに何度もの大構図が発生しています。この堤防群が切れると江戸時代の石高で1万石相当の水田が水浸しになってしまうということです。
釜無川にぶつかる御勅使川は急流河川で暴れ川の代表です。武田信玄がこの川を御さないと甲府盆地の安寧は無いと考えたのもうなづけます。
一面に広がる果樹園の地下にパイプを張り巡らして灌漑工事がしてあります。利水の執念を感じました。この施設がなければ特産品はできません。
御勅使川の急流を制御するためには5つの張り出した不連続堤が守ります。続いて将棋の頭の形をした堤防を中州に造り水の流れを二手に分ける工夫がなされてます。
驚くべき多重防御システムだと思います。しかしそれでも防ぎ切れず水害が多発したことにもっと驚きます。水との戦いに終わりはありません。