甲州流治水勉強会2
勉強会の案内役をして下さった南アルプス市文化財課の斎藤秀樹さんが「治水と利水は表裏一体です。」と話していました。甲府盆地の利水への執念はすさまじいです。
甲府盆地で水を治めるのは非常な困難を伴います。それだけに得た大切な水を全てコメの増産や果樹の栽培に役立てようとしたのだと思いました。
御勅使川(みだいがわ)、釜無川といった暴れ川を抱え氾濫を繰り返していましたので甲府盆地は水が豊富だと思いこんでしまいます。実態は違います。
氾濫の時は一面が湖のようになります。しかし平時は川の水は見えず河川は河原と化します。土質の関係で山中で水がしみ込んでしまい漂流水とならないからです。
渇水の時期が長く「月夜の明かりでも焼ける(乾燥する)。」と言われるほどの乾燥地域もありました。このような土地柄で水を供給して農業生産するのは大変なことです。
江戸時代に江戸の商人で徳島平左衛門という今でいえばデベロッパーがいました。私財を投じて甲府盆地で新田開発事業を行いました。
水量が安定しない御勅使川の水ではなく17キロも離れた釜無川から取水して水を引き新田開発を試みました。1665年のことです。日本中が開発ブームの時代です。
徳島平左衛門の事業は完成まじかに水害に襲われてとん挫しました。その後甲府藩が事業を引き継ぎました。実際の工事は矢崎又衛門という民間人があたりました。
1670年に完成しました。引いた水は甲府盆地に掘り込んだ今でいう暗きょ、地下水路を通って来ます。設置した取水口を防御するための堤防も築かれました。
井戸を守るために堤防を囲むようなものです。枡形堤防と言われます。堤防の土台の部分には石を敷き詰めた木の枠を埋めます。木工沈床(もっこうちんしょう)と言います。
現在でも活用されている技術です。堤防が水流でえぐられないようにするための基盤工事です。その上に石を積んで取水口を取り格無堤防を造りました。
現在でも活用されています。用水もです。ただしパイプが地下を網の目のように張り巡らされていて南アルプス市の特産の果樹の栽培に活用されています。
果樹園にゴムのタイヤが置いてあります。スプリンクラーの目印でした。地下のパイプを通った水がスプリンクラーとなって果樹畑を潤します。
完成したのは昭和40年代に入ってからで現在改修中です。300年の時を経て手に入れた水の恵みです。桃、リンゴ、キウイ、果樹園が広がっていました。
お昼は地元で採れた果樹と野菜を直販しているレストランで取りました。長い年月の困難の末にようやく安定的に得ることが出来た水があって生産ができます。
南アルプス市は、2003年に4市2村が合併してできました。そのうちの白根町は元副総理で政界のドンと言われた金丸信さんの出身地です。
1980年代の中ごろから1990年代の初めまで権力を極めました。建設族として国費を地元につぎ込みました。甲府盆地を見ると判るような気がします。
金丸信さんのような政治家が出てこないと地域経済が成り立ちません。地理的な条件は厳しいので基盤整備がどうしても必要です。腕力のある政治家が出る要因の一つです。