甲州流治水勉強会3

視察勉強会は一日だけでしたが大いに喚起されました。治山治水は政治の根本という言葉を実感しました。甲州にとっては今現在も治山治水は政治そのものでした。

人は時に大切な根本を忘れてしまうことがあります。先人の労苦によって安全がもたらされるとそれが当たり前となります。いつかしっぺ返しをされます。

近代日本を代表する地震学者、寺田寅彦の「災害は忘れた頃にやって来る。」は真実です。神が仕組んでいるのではなく人が安逸をむさぼっているのが原因です。

明治期に山梨県の南湖村(現南アルプス市)に綿引竹次郎という人物がいました。「天民義塾」という私塾を開いていました。報徳思想を教えていました。

綿引は、明治末期の1907年に釜無川の堤防が決壊した大水害の後、詳細な水害図を村人とともに作成しました。現存しています。見せていただきました。

2015-10-16 14-55-02

水害図には綿引竹次郎の言葉が記されています。南アルプス市作成の冊子に現代語訳が出ていますのでしょうかいさせていただきます。

「今から80年前、将監堤(注:釜無川の要の堤防のこと)が決壊して氾濫しその参害を極め、南鰍沢に至って止まった。時が移りゆく中で、人々は周りの人々のことを考えず、自分の安全ばかりを追い求めるようになったが、明治40年8月25日、再び決壊し見渡す限りすさまじくいたましい状況である。この図がその時の状況である。どうか後世の人々よ、この図を鑑みて、よく考え、よい方策を講じて下さい。それをしなければ、この図を見てただいたずらに哀しむだけで、戒めとはならないでしょう。」

唸り声をひそかに上げてしまいました。特に最後の言葉です。ただ振り返っても意味がなく知恵を出して何らかの方策を嵩じて欲しいと呼び掛けています。

行動を起こさなくては意味がないのです。座学で過去の災害を調べて理解してもそれでは単に振り返っているに過ぎません。手を打つための行動が必要です。

2015-10-16 14-54-37

綿引竹次郎の言葉は現代人に取っても厳しい戒めです。想定外、想定外といって責任は無いかのような言説がまん延している現代への警告だと受け止めました。

綿引竹次郎の伝統は今も山梨県の報徳社に受け継がれています。二宮尊徳の教えと綿引竹次郎の哲学がつながっていることを伺い驚きました。

案内役の斎藤秀樹さんが「二宮孫党の生まれ故郷から勉強に来てくれて感慨深いです。」と話していました。私は二宮尊徳の故郷の人間らしく行動せねばと思いました。

二宮尊徳の思想の中に天道と人道とを分けて行動指針とするようにという考え方があります。自然災害を天の働きと捉えてあきらめてしまってはなりません。

自然の摂理は如何ともしがたいですがその摂理の中で人は最大限の努力をして人々の安全を守る努力を怠ってはなりません。それが本来の人の道です。

今回の治水勉強会で一番の収穫は常に備える行動を怠ってはならないという根本精神を再認識したことでした。二宮尊徳の教えとつながりました。モットーとします。

 

 

記事

前の記事

甲州流治水勉強会2