熱血消防長からの遺言

20日に逝去された元足柄消防組合消防長の須谷美實さんの告別式は本日午前10時半より小田原駅前の湘和会堂で行われます。弔辞を読ませていただきます。

昨日書き上げました。ご霊前に伝えたいことがたくさんあって長くなってしまいました。読んでみたら6分半ありました。これ以上は削れません。

南足柄市に須谷さんという名物課長がいるということは新聞記者を通じて聞いてました。夢中で防災や防犯に取り組んでいて取材を頼まれると断れないと言ってました。

須谷さんに初めて会った時の第一声は「あなたが須谷さんですか!」でした。色が黒くていかつい顔で目がぎょろりとしてました。熱血ぶりが漂ってました。

昨日のブログでも書きましたが私が舌を巻いたのは地域防犯組織の立ち上げです。足柄山の金太郎の故郷らしく「暫(しばらく)金時隊」と名付けられました。

2004年の暮れに最初の組織を立ち上げてから3年半で市内全域に拡大しました。各地域の自治会長さんらと信頼関係がないととてもできません。

2008年3月須谷さんと一緒に仕事が出来るチャンスがやってきました。消防長の交代人事がありました。足柄消防組合の組合長だった私は須谷さんに決めてました。

問題は登用の国基準に満たないことでした。2年以上、部長級の職種の経験が求められました。須谷さんは半年足りませんでしたがそのまま指名しました。

交代人事からしばらく経って問題が表面化しました。当時私は内閣府の地方分権改革推進委員会の委員でした。消防長人事は地域の事情で決定すべきと主張しました。

福祉部長を2年経験すれば消防長になれて防災一筋で来ても消防長になれないというのは合理的ではありません。国の方も納得してくれました。

9月23日、須谷さんは私の自宅にA4二枚に自らの意見をまとめた書面を届けてくれたと昨日ブログで書きました。もう少し詳しく書きます。

私は留守でした。家内が応対しました。奥様と一緒でそのまま病院に入院する途中でした。車には入院のための荷物が一杯積まれていました。

血液の難病に罹り最先端の治療を受けるための入院でした。覚悟を決めていたのだと思います。その入院前に私に託した書面は須谷さんの遺書です。

これも昨日のブログで書きましたが酒匂川の流域単位で治水対応を取ることの大切さを訴えています。静岡県と神奈川県に分断されたままではまずいです。

水源地から下流までの各市町、ばらばらの対応では有効な手が打てません。須谷さんは長い間の実務体験から改革の必要性を痛感されていたのだと思います。

最後に首長に対して要望が付記されてました。挑戦する気概が不可欠だと書かれてます。国へモデル事業の提案を持っていくべきだと訴えています。

全く臆することなく国や県に通い詰め幹部職員に堂々と意見を開陳してきた須谷さんの眼には県西地域の首長の行動力不足が気になったのだと思います。

県西地域の首長は須谷さんの意見を重く受け止めて欲しいです。民間の立場からも行政に積極的に働き掛けて安全な地域にするよう努めます。