夕張から地方創生を考える。

神奈川大学の地域政治論で北海道の未来をどう拓くかをテーマの一つにしてます。2006年に財政破たんした夕張市の町づくりを調べてます。

私は夕張市を訪れたことがありません。夕張市との接点は、2007年内閣府の地方分権改革推進委員会の審議で夕張市や北海道庁の担当者から説明を受けたことです。

夕張市のホームページには借金時計が公開されてます。負債総額は353億円で返済したのが87億円、2027年3月まで返済は続く計画となってます。

なぜ夕張市が財政破たんをしたのか直接の引き金は明らかです。石炭の町が相次ぐ炭鉱事故と国のエネルギー政策の転換により取り巻く経済状況が激変したからです。

激変は人口の推移で判ります。1960年に11万7千人あった人口は10年後7万人を切り1990年には3万2千人となり、現在は1万人を切ってます。

手を拱いていたのではなく逆に積極果敢に挑戦しました。1979年4月から24年間市長を務めた中田鉄治市長が立役者でした。炭鉱から観光都市を指向しました。

炭鉱の歴史博物館、映画祭の創設、スキー場やホテルの経営といった民間企業顔負けの事業を展開しました。第3セクターと言われる半官半民組織を活用しました。

中田市長の町づくりの手法は大いに評価されて自治省をはじめ数々の表彰を受けています。1998年には国際都市活性化技術会議で特別栄誉賞を受けています。

中田市長は2003年4月引退し同じ年の9月に死去しました。夕張市の隠れ借金が明るみに出て財政破たんが確定したのはわずか3年後のことでした。

中田市長は国のエネルギー政策転換に伴う特例措置をフルに活用して各種の投資事業を展開したはずです。石炭から観光へという流れも間違ってはいません。

しかし民間会社のような効率的な経営は半官半民組織では不可能で赤字が積み重なったのだと思います。進出してきた民間会社も採算が合わないと撤退しました。

中田市長の前に出て異論を唱える雰囲気ではなかったのではないでしょうか。政策転換が遅れてにっちもさっちも行かなくなったというのが実情ではないかと推測します。

国や北海道庁は夕張市政の実態を全く知らなかったのか首を傾げざるを得ません。市が借金をする際には道庁と国のチェックがあります。

夕張市長は34歳の元都庁職員の鈴木直道さんです。都から夕張市に支援のため派遣された後、4年前の市長選挙に打って出た若きサムライです。

高い志だけで乗り切るには夕張市の現実は余りに過酷です。鈴木市長は手取り20数万円の給料で奮闘中です。頭が下がります。息が切れないか心配です。

極端な行政サービスの低下と市民への負担の増加で乗り切る夕張再生の方向は正しいのか疑問を持つようになりました。切り詰めるだけで投資する余剰が見い出せません。

昨年出版され注目を集めた増田寛也元総務大臣の『地方消滅』のデータでは夕張市の2040年の人口は3104人現在の3分の1と想定されてます。

国と道庁が本格的にテコ入れしないと夕張市が無くなります。放置するとしたら口では地方創生と言いながら地方切り捨てを容認していることに他なりません。