住民投票を考える。
神奈川大学の政策過程論で住民投票について講義してます。住民側が住民投票で民意を問いその結果を実現させるのは膨大なエネルギーが必要です。
住民投票に持ち込むことが容易ではありません。議会の壁があります。議会に圧力を感じさせるには有権者の三分の一以上の署名を集めなくてはなりません。
議会の解散となるリコールの基準だからです。そのラインを超えるとひょっとすると解散に持ち込まれるかもしれないと議員が危機感を持ち出します。
そこまで行くのは容易なことではありません。住民側に住民投票実施に対する強烈な意志がないと進みませんしその動きに共感する民意がなければそれまでです。
1996年8月に新潟県巻町(現在は新潟市に編入)で実施された住民投票が有名です。住民が粘り強い住民運動で東北電力巻原発の設置を問う住民投票に持ち込みました。
ジャーナリストの今井一さんがそのものズバリのタイトル『住民投票』という岩波新書の中で詳しく紹介しています。住民投票条例可決はドラマです。
住民投票に反対している議員が誤って賛成票を投じたために条例が可決されました。賛成、反対両派双方驚いたことでしょう。まさかという坂は本当に実在しました。
住民投票の結果は、投票率は88パーセントで原発反対が12478表で賛成が7904表でした。投票率を見れば住民の関心の高さが判ります。
しかし、住民投票の結果が直ぐに政策に反映された訳ではありません。東北電力を原発断念へと追い込んだのは住民投票ではありません。
住民投票で示された民意はもちろん大きな影響を持ちました。しかし決定打は原発建設予定地の中心部に存在した町有地を反対派の住民に売却したことです。
743平方メートルの土地を反対派の住民23人に売却しました。総額は1500円でした。町長の決断として議会に諮らず断行しました。
一人一人の契約は面積も小さく少額であるので一般の行政事務として遂行しました。法的には問題はありませんが異例中の異例の措置です。
こうした判断を下すには背景がありました。町長選挙が迫っており原発推進派の町長が当選すれば住民投票の結果が無視される可能性があったからです。
住民投票そのものは法的な縛りはありませんので無視しようと思えばできます。町長選挙の前に原発建設が不可能にしてしまおうと強行突破したのでした。
住民投票という民主主義の中の民主主義手法を使って得られた民意を守るためには強権と言われても仕方のない独裁的手法を取ったということです。
こうした冷徹な政治の現実はきちんと見なければなりません。住民投票を住民の力で実施したという輝かしい側面にばかり目を奪われては正確な理解を妨げます。
建設を実際に止めたのは何かについて事実に沿って観察する必要があります。権限とその権限を断行する権力を持っていなければ事態は動かせませんでした。
住民投票は大事なことを自ら決める究極の民主主義だと言われます。しかし投票に至る過程やその後の動きまで民主的かどうかは別物です。冷徹な眼も持つ必要があります。