新春に想う。2

東大の行政学の教授で『地方創生の正体』の著者の一人でもある金井利之さんは安倍政権の地方創生政策を批判してます。こき下ろすに近い言い回しです。

地方創生に向けてアイデアを出せ出せと迫り、もし失敗したらアイデアを出した方の責任だと知らん顔をするやり口で「ヤレヤレ詐欺だ。」とまで語ってます。

神奈川県開成町という小さな町の町長を13年間務めた経験者から金井さんの分析を見ると確かに指摘されている側面はあります。国は責任取りません。

最終的な責任は最も現場に近い市町村に押し付けられます。財政破たんした夕張が典型例です。名物市長が次々と借金で観光振興策を打ち出すのを国は持ちあげてました。

ところが夕張が破たんすると評価は一転して悪者にされました。国の責任が問われることはありませんでした。夕張市が矢面に立ち非難を浴びました。

しかし、だからといって地方の側に責任がないのかというとそうではありません。最終的な決断を行ったのは夕張の場合は市長であることは紛れもありません。

地方の側の責任逃れは出来ません。国と地方の責任があいまいなまま推移してきたというのが実態だと私は思います。金井さんの分析は地方の方を持ち過ぎです。

安倍政権の地方創生策で地方側にアイデアを出すよう迫る背景には地方にきちんと責任感を持ってもらうという一面があります。妥当な判断だと思います。

そうでないと地方側は何ら知恵を出さずにおねだり合戦になってしまうからです。これまでの日本の地方政策はお恵みとおねだりの持たれ合いがありましした。

現場に最も近い市町村長が課題から逃げずに本気で向き合う姿勢を示すことから局面転換が始まります。自らの責任を負わないようなリーダーはリーダーではありません。

身近な例でいえば私の住む神奈川県西部地域の今年最大の地域課題は中心都市の小田原市と足柄地域の中心市である南足柄市が合併の方向に歩むかどうかです。

恐らく小田原市の加藤憲一市長は遠からず地域の中核市を目指して合併の方向を打ち出すことと思います。もう一方の南足柄市の加藤修平市長の態度は定まっていません。

小田原市の19万4千人の人口に対し南足柄市は4万人強ですので吸収合併という見方もできます。当然のことながら反発が出ます。慎重になるのは理解できます。

南足柄市は豊かな税収を誇り公共施設は充実させてきましたが税収の落ち込みで財政はひっ迫しつつあります。この局面でどのような選択をするのかは重大な判断となります。

元旦のある会合で南足柄市の加藤市長の挨拶を伺う機会がありました、お役所言葉を使いながら合併の話を巧妙に避けてました。議論から逃げる姿勢を感じ落胆しました。

現状ではまともな議論にたどり着きません。合併するか否かの最終判断は別です。しかし議論から逃げてしまってはお話になりません。現状は極めて不満です。

一般に温和なタイプの市町村長が増え南足柄市の加藤市長もそんなタイプてす。柔らかさと責任を取る覚悟は、何ら矛盾しません。外柔内剛であって欲しいです。

 

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