「一億総活躍社会」の前に「一億総ざんげ」2

前々回のブログで「一億総ざんげ」という言い回しをしたら「誰にざんげするのですか?、天皇陛下にですか?」という質問がありました。

「一億総ざんげ」という言葉は太平洋戦争で日本が敗れた直後に成立した内閣の皇族出身の東久爾宮稔彦総理が国民に向かって発した言葉です。

国民全員が敗戦の責任があるので天皇陛下にざんげしようとの呼び掛けでした。天皇に戦争責任が及ぶことを避けるための予防策だったと言われています。

「一億総ざんげ」という言葉が誕生するこのような歴史的な経緯を知っていられるから冒頭に書いたような疑問が生じたのだと推測します。

私は国民一人一人が本当に日本の政治は今のままで良いのか良く考えて欲しいと問題提起したいと思い、あえて「一億総ざんげ」という古めかしい言葉を使いました。

安倍総理が「一億総活躍」というスローガンの元で国民を駆り立て一つの方向に導こうとしている現状に対し皮肉を込めて用語を選びました。

日本国憲法は国民主権です。象徴である天皇陛下にざんげするのはありえません。主権者たる国民一人一人が自らと向かい合って行く必要があります。

22日の国会で安倍総理大臣は施政方針演説を行いました。「地方創生」と「一億総活躍」が二枚看板でした。挑戦という言葉を連発し実現に力を込めました。

今度の演説でも「一億総活躍」の哲学は語られませんでした。なぜ「一億総活躍」なのか、なぜこうした用語を用いたのか、目指す社会像は何なのか判然としません。

私は異様だと思います。目指す社会像の明確なビジョンがないのに福祉、教育、子育て支援、雇用、介護、更には産業政策や税制に至るまでてんこ盛りです。

出生率を1.8にすることも「一億総活躍」の範ちゅうです。消費税を10パーセントに引き上げることと見返りに軽減税率を導入するのも「一億総活躍」の一環です。

驚くしかありません。「一億総活躍」というくくりで社会・経済政策の大半は網羅されるといっても過言ではありません。これが果たして政策と言えるのでしょうか。

話題になった低所得の高齢者に一人三万円の給付事業は「一億総活躍」事業の中から抜き出し次年度の予算ではなく今年の予算を補正して実施することになります。

夏の国政選挙対策以外の何物でもありません。なりふり構わない姿勢が端的に表れていると思います。逆にいえば安倍総理は何かに憑かれたかのように前進してます。

ひどく危険な兆候だと思えてなりません。冷静な議論は期待できません。余りに網羅的で論点を絞ることは困難です。「一億総活躍」のイメージだけは残ります。

一緒に挑戦しようと呼びかけています。異論は許しません。異論は反対ばかり言っていると切り捨てられてしまいます。いつか来た道の匂いがしてなりません。

甘利大臣のスキャンダルの発覚しました。「一億総活躍」のようなスローガンで国民を誘引するだけでは足らず別の手を断行してくる可能性があります。動乱の一年になりそうです。