松田町まちづくり講演会1

まつだ桜まつり(西平畑公園)の風景写真その4

(松田山から望む富士山 松田町HPより)

昨日、開成町のお隣、松田町の商工振興会に招かれて町づくり講演を行いました。朝のうち春の嵐でした。参加者が集まるのかなと気になりました。

ところが会場のホールは200人近い参加者でいっぱいでした。足柄地域の中心であった松田町、このところの人口減少に対し危機感が高まっている証しだと思いました。

講演のタイトルは「県西地域における松田町の未来戦略」としました。開成町長の体験を踏まえて松田町がかつての活力を取り戻す方策を提案しました。

松田町は大正時代の1909年に町となった神奈川県西部の中心地の一つです。平安時代、京都へと通じる街道の交通の要衝でした。現在もその役割は変りません。

小田急線新松田駅の一日乗降客数は24124人で神奈川県西部の小田原・足柄地域では小田原駅の66498人に次いで二位です。東名高速のインターも真近です。

こうした交通の利便性にもかかわらず人口減少が続いています。10年間で人口は12474人から11231人に減りました。2040年には6千人台という予測も出てます。

松田町は、丹沢の山並みから足柄平野へと広がるいわば玄関口に位置し、面積は37.75平方メートルで94パーセントが山林で可住面積が少ないです。

私はこのような地理的条件を人口減少の理由にし過ぎてないかとずっと思っていました。急行も特急も止まる便利な駅の至近距離に住宅があれば移住者は増えます。

環境も素晴らしいです。松田山は早咲き桜の名所で今年も祭りが始まりました。松田山中腹の公園から見る富士山と桜は絶景という表現がぴたりとはまります。

問題は小田急線新松田駅前のバス、タクシーの乗降広場が極端にに狭く危険なことです。足柄地域の玄関口に相応しい姿に整備することは至上命題です。

講演で私は故・平野興二町長の町づくりビジョンをもう一度見つめ直す必要があるのではないかと提言しました。平野さんは2001年に亡くなられました。

元建設省のキャリア官僚で日本全体の国土づくりに携わっていられただけにスケールの大きな構想を持たれてました。松田山の講演開発も平野さんが手がけました。

私が先見性が素晴らしいと思うのは、単に観光開発ではなく子供の館を併設されたりして教育や文化と関連付ける発想を打ち出されていた点です。

建設省出身者らしく駅前の再開発ビジョンも用意されてました。一連の平野ビジョンを現在の状況に合わせて再現することを検討して欲しいと思います。

国も財政難ですので当時のように国庫補助ばかりを当てには出来ません。民間資本を活用する手立てが不可欠です。小田急もJR東海もありますので可能だと思います。

議会、町民が一致結束して町づくりに協力していくことも大切さも繰り返し訴えました。政争は町づくりを遅らせることはあっても早めることはありません。

人口減少の時代、議論はおおいにすべきですが足の引っ張り合いをしている余裕はありません。ここはリーダーである町長がしっかり認識しないとならない部分です。