頭(あたま)より御魂(みたま)で生きるということ。

2016-02-17 14-16-56

(杉田廣善氏 86歳)

昨日、杉田廣善さんによる「新しい道」の勉強会が開成町でありました。参加者は11人で、町内からは私一人、東京、大磯、熱海、山北などから参加されてました。

大学の講義の都合もあって半年近く勉強会から足が遠のいてました。久しぶりに拝見する杉田さんは悠然と構え長老の風格を漂わせていました。

ゆっくりとしたリズムで真理の言葉が発せられます。なるほどなるほどとうなづくしかありませんでした。伺っている内に自信が湧いてきます。

何度も同じ趣旨の話を聞いているのですがその都度新鮮です。一生懸命メモを取っているのですがいつの間にか忘れてしまい初めて聞くような感覚になります。

真理とはそういうものなのだろうと解釈しています。いつ聞いても、何度繰り返し聞いても常に新鮮で心の内側に安らぎを運んできてくれます。

昨日の講話のまとめは「頭(あたま)」より「御魂(みたま)」でした。人間の知識を超越したところにある天の理に沿って生きることこそが根本ということです。

一人一人の肚の奥の奥には「御魂(みたま)」が宿っています。普段はその存在を意識しません。欲望に捉われていると存在に気づかないからです。

欲望が取り払われた時に気づきがあります。個々人の欲望が無くなった状態のことを「真空」といいます。「御魂(みたま)」が働き出します。

仏教でいうところの「真空妙有(しんくうみょうう)」という状態のことです。人として最上の状態とはこの状態を常に維持することに他なりません。

「新しい道」の特徴は、この状態に到達するのに特段の厳しい修行は必要ないと断言している点にあります。全ての事象をあるがままに受け取れば良いというのです。

全ての事象の奥底には「天の理」の直接の働きである本当の実像が宿っています。「真空」状態となって「御魂(みたま)」に全てを委ねると本当の姿が見えてきます。

何とか見たいとあがくのは欲望の一種だということです。そのあがきの状態では本当の姿は見えません。笑顔で喜んで全てを受け止めた時に本当の姿が見えます。

修業とは難行苦行ではなく笑顔で受け止めるということになります。簡単なようでいてとても難しいです。面白くないことがあればカリカリしてしまうのが常です。

小さな出来事をおろそかにせずに常に感謝しているうちにいつの間にか「真空妙有(しんくうみょうう)」の世界に接近が可能だと言われてました。

「新しい道」は自然体を大切にします。歯を食いしばって凡事に励むのではありません。笑顔で感謝しながら徹底することが大切だというのが杉田さんの助言です。

杉田さんは、これから日本を取り巻く環境は一段と厳しくなると予言してます。お金や地位や名誉にしがみつくことが出来なくなるということです。

このピンチは日本人本来の本当のあり方に近づくチャンスでもあると言われます。「新しい道」の教えはそのチャンスを活かすためのいわば「転ばぬ先の杖」のようなものです。

どんな困難な事象が襲ってきても平然と笑顔で受け止めて事象の奥底にある本当の姿を見い出しその導きに沿って生き抜くことで活路を拓くということになります。