進化を続ける治水神・禹王研究会に参加して。

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昨日、京都の仏教大学で治水神・禹王研究会の第3回総会及びに研究大会が開催され参加しました。50人ほどの参加で充実した内容でした。

中国の治水神・禹王を祀る遺跡や禹王の名前が刻まれている石碑、地名が日本全国で97ヶ所あります。全国各地で研究を続けている郷土史家が年に一度集まります。

足柄の歴史再発見クラブの顧問の大脇良夫さんが呼びかけられ佛教大学歴史学部教授の植村善博さんらと力を合わせて会を運営され会員は130人ということでした。

104頁の研究会誌第三号も発刊されました。会の顧問に就任させていただいている私も「禹王研究の歩みと未来展望」というタイトルの小論を発表させていただきました。

熊本県天草市の郷土史研究家による禹王遺跡の発表がプログラムに入ってました。貴重な禹王遺跡が残っている大分県臼杵市からも参加の予定でした。

一連の熊本を中心とする地震で交通が滞り参加不能となりました。犠牲者の皆様、被災者の皆様に対し大脇代表がお見舞いの気持ちを述べられていました。

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特別講演がありました。天理大学国際学部教授の藤田明良さんです。中国福建省由来の女性の水神、媽祖(まそ)信仰の日本への伝播と展開でした。

沖縄や九州を通じて日本に伝来し北陸や茨城にも媽祖像が存在するという事実にまず驚きました。江戸時代には信仰が盛んであったことも知りました。

しかし明治になり国家主義が台頭し日本という国の存在が前面に押し出されるようになってから急速に衰退していったということでした。

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媽祖は宋の時代に伝説となった海の神です。一方、治水神・禹王は4000年前の伝説の聖人です。由来の違いはありますが江戸期は盛んであったのは一致します。

日本の中国に対する見方が江戸時代は明治以降と全く異なっていることが背景にあります。文化学術の先進国から西洋の学術の取り入れに遅れた国へと大転換しました。

しかし明治時代以降になっても禹王の名前を刻む石碑は数多く見られます。中国を遅れた国と見なしながらも知識人の教養の土台には漢学の素養がありました。

禹王が中国最初の王朝の夏(か)の創始者で中国儒教において聖人として尊敬を集めていることは中国の古典を読み込んでいる者にとっては常識化していたと思います。

この素養があったからこそ優れた土木技術者に対して禹王のように優れた業績であると石に刻んだに違いありません。漢学の素養が薄れ禹王の存在感も薄くなったと思います。

一方媽祖信仰の方は、強引に日本の神として名前の変更を迫られたものの松里自体は存続し現在に至っている地域もあるということでした。

禹王も媽祖も現代の日本において再発見の過程にあります。この研究は、日本の中で消えゆく中国文化の伝統を探り当て価値をもう一度再認識してもらう取り組みです。

日本は、西洋と中国の学術文化をともに受け入れ自らのものとし発展した稀有な国です。東西の学術文化の優れた点と限界を知る立場にあります。

東西文化を融合し新たな文化を発信するに最も相応しい国です。そのためには西欧文化の圧倒的な優位な状況の中でも生き延びている日本の中の中国文化を再発見することです。