二宮尊徳に学ぶことは実践を学ぶこと。

回村の像と尊徳生家

(二宮尊徳像 小田原・尊徳記念館)

2日は、あじさい祭りが先月終ったばかりの開成町のあじさいの里で、あじさいの花摘みの日でした。町内外から500人のボランティアが集まったということでした。

来年、美しい花を咲かせるためにはこの時期に枯れた花を切り取ってしまうことが必要だということで毎年ボランティアを募って実施してます。

二宮尊徳を学び農業を少しでも盛んにしようと始めた「あしがら平野一円塾」も参加しました。あじさいの里から離れた岡野地区にあるあじさい農道が担当です。

徐々に担当する区域が広がり200メートルほどになりました。9人で花を切り取りました。8時半から初めて10時半には作業終了でした。

この後近くの公園でお弁当を食べながらこの夏の活動計画を話し合いました。今年は、8月30日から9月3日まで沖縄県における二宮尊徳の受け入れについて調査に行きます。

浦添市で社会活動に取り組んでいられる方の案内で沖縄に残る二宮金次郎像の調査が主です。本土の金次郎像とは姿が違うということですので確かめてきます。

沖縄調査の前の8月24日から25日まで東京・神田の明治大学で国際二宮尊徳思想学会が開催されます。日本と中国の研究者ら200人が参加します。

論文の研究発表を募集していたので応募しました。事務局より返事がありましたので発表できそうです。「現代日本の地方創生と二宮尊徳の報徳仕法」と題を付けました。

二宮尊徳というと薪を背負った金次郎少年のイメージが強くて貧しさに負けずに刻苦勉励した立派な人物という道徳の教科書で扱われる人物と受け止められています。

実際は、大人になってから活躍した人物です。全国各地の疲弊したの農村の再生に取り組んだまちづくりの実践者です。プロフェッショナルです。

生まれ故郷の小田原ではなく栃木県や茨城県での活躍が目立ち、福島県、北海道、静岡県などでも弟子たちがまちづくりを展開しました。

二宮尊徳の農村復興の特色は徹底した現地調査と長期にわたる綿密な実践計画の策定が挙げられます。無理のない財政計画も合わせて立案しています。

農民出身の尊徳が封建時代に指揮命令することは支配層にとって面白くありません。計画実行の説得は容易なことではなかったはずです。

一方農民にもまじめに働くことを要請しなければなりません。農民をその気にさせるのは一筋縄ではいきません。日々戦いの連続でした。

二宮尊徳は死の直前弟子たちに自らの日記や手紙を読めと伝えています。理屈ではなく実践の記録を読めということです。格闘の日々であったことを伺わせます。

論文発表では二宮尊徳を学ぶということは、尊徳が徹底した実践家であったことを学ぶことだということを強調します。道徳家ではなかったのです。

従って現代のまちづくりの実践家であるべき首長が二宮尊徳を学んでいるというのであれば自らその教えを実践をして初めて語る資格があるということも訴えます。

首長が二宮尊徳の伝記などから紐解いた徳目を語ることは意味がありません。自らが二宮尊徳の教えを実践している姿を見せることが何より大切です。