小田原市・南足柄市合併論議への疑念
小田原市と南足柄市が合併について10月から本格的に検討を始めるのを前に18日小田原市で市民を対象にした講演会が開かれたとの新聞記事を目にしました。
神奈川新聞によりますと「今の時点では合併するもしないも決まっていない。」と加藤憲一小田原市長は述べて白紙であることを強調したということです。
私は現場で加藤市長の話を聞いていませんので微妙なニュアンスは判りません。しかし記事の通りだとすると違和感を持たざるを得ません。
両市の合併については1年以上かけて水面下で事務的に検討し今年の2月に両市町が記者会見をして10月からの合併検討を発表しました。
2人の市長がここまで堂々と検討することを公表していながら今更、合併が白紙であることを強調するのはなぜなのか、その意図を疑いたくなります。
一番気がかりなのは最終的に合併を決めるのは市民の皆さんですという当たり前の理屈を掲げることによって自らの責任を逃れる気持ちがあるかどうかです。
議論することを市民の皆さんに提示しているのであって結論を押し付けようとしているのではないという姿勢を示せば責任から逃げられるという姿勢です。
もしそのような思惑が両市長の心に中にあったとすればこの合併話はいずれ混乱し合併が成立することは困難だと思います。責任の所在が不明確な話は上手く行きません。
合併講演会があった翌日の晩、大井町のいこいの村で新旧の町村長の懇親会が大井町の間宮町長の音頭取りでありました。懐かしい顔と再開でき話しが弾みました。
津久井町長を6期務め相模原市との合併を推進した天野望元町長から町が無くなることの悲哀と合併への決意との狭間で揺れた心の葛藤を伺いました。
神奈川県の水源地域である旧津久井郡4町は、2006年から7年にかけて相模原市と合併し、相模原市は70万都市となって政令指定都市となりました。
合併に踏み切らざるを得なかった直接の要因はモーターボート競走組合事業の撤退でした。赤字の補てんが財政上出来ないことから合併へと舵を切りました。
町長最後の日は町の公用車で自宅まで送ってもらいました。翌日の合併式典の時は町長公用車は出してもらえずに相模原市から部長車が回されたということでした。
合併から10年経った今判断は間違っていなかったと言われてました。あのまま単独で踏ん張っていたら下水道などの基盤整備は不可能だったと言われてました。
連日連夜説明集会をして住民投票を乗り切った結果の合併でした。自らの地位を失いましたが地域の将来を考えると止む得ない判断だったということです。
合併は首長にとって命がけの話です。私の父親も南足柄市との合併協議を正式に提案したものの町民の反対が多く断念しました。責任を取って町長を退きました。
今回の小田原市と南足柄市の今回の合併は一対一の合併で誰に最終責任があるかは自明です。記者会見までして逃げることは許されないと思います。
両市長は今こそ合併で地域の中心となる強力な市を創り出すと決断し首をかけて市民の理解を得たいという姿勢を打ち出すことが不可欠だと思います。