愛国と反戦平和

今日6日は、広島原爆の日、9日は長崎原爆の日、15日は、終戦の日。毎年8月を、国民挙げて戦争と平和について考える月間にしたらどうかと思います。

私は戦争と平和の問題を考えるにあたり父の存在を抜きにしては語れません。幼い頃から戦争のことをさんざん聞かされて育ちました。

父は、職業軍人で、1945年の8月旧満州(現在の中国の東北地方)の当時のソビエトとの国境の拠点都市孫呉に駐留しソビエト軍の侵攻に備えていました。

8月9日、日ソ中立条約を一方的に放棄しソビエト軍は国境を越え進撃しました。停滞させるための決死隊といえる挺身大隊の長を務め激闘を繰り広げました。

壮絶な戦いぶりは伊藤正徳『帝国陸軍の最期』にも記載されたほどです。多数の部下が戦死しました。本人はソビエト軍に捕えられシベリア抑留となりました。

4年半の抑留生活から日本に帰国した後に父は結婚し一男一女を得ました。内容を理解できるかどうかなんておかまいなしに幼い私に戦争の話をしていました。

一番記憶に残っていたのが戦死した部下について「戦争のために死ぬために生まれた連中だ。大切に弔ってやらなければならない。」という言葉でした。

1984年父は71歳で急死しました。私は父の言葉を形にしようと考え菩提寺に慰霊碑を建立しました。菩提寺に参詣した時には必ず手を合わせます。

父が私に伝えたかったのは、現在の平和に陰にはこうした血塗られたせい惨な歴史が横たわっていることを忘れてはならないということが一つあります。

もう一つは、戦死した部下たちは祖国のために天皇のために勇猛果敢に命を賭して戦った若者たちで、その名誉も忘れてはならないということだと思います。

軍人であった父にとって祖国のために命を捨てるのは当然の心構えでした。その気概を長男の私にも理解してもらいたかったのだと思います。

戦地で殺し合うという悲惨な戦争の実態と祖国守るという純粋な思いの尊さ、この両者の矛盾を考えると身がもだえるような感覚を覚えます。

これから日本が再び戦争に巻き込まれるような事態に陥ったとすると戦地に赴くのは私の息子たちの世代より下の若い世代です。孫の世代かもしれません。

目に入れても痛くないような孫たちがもし祖国のために戦わなければならない事態に陥ったとしたら果たしてどのように振る舞うのだろうかとふと考えてしまいます。

あくまでも想像ですが亡き父の教えを守り祖国のために身を挺して奮闘して欲しいと送り出すと思います。胸が張り裂ける思いをぐっとこらえる忍耐が必要です。

こうした悲しみを国民に再び味あわせてしまうことのないように政治はあるのだと思います。こよなく祖国を愛することと戦争を避け平和を求めることは矛盾しません。

国の政治にとって一番大事のことは、愛する日本を平和に保つため惜しみない努力を注ぐことです。日本を愛するからこそ平和を追い求めるのです。

愛国と反戦平和は何ら矛盾しません。反戦平和を唱えることは日本を愛する故の行動であることをもっと訴える必要があると思います。