沖縄と二宮金次郎1

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8月30日から9月3日まで小・中学校などに残る沖縄の二宮金次郎像について調査してきました。学校長らと意見交換しわが地域との交流の種をまくことが出来ました。

郷土の偉人、二宮尊徳を学び農業を中心にまちづくりに貢献しようとして作った「あしがら平野一円塾」の3人のメンバーと一緒に訪問しました。

メンバーの一人の奥さんが沖縄県出身でその方の沖縄のお宅を拠点にしました。沖縄県北部の国頭郡今帰仁村にあります。「なきじん」と読み名護市に隣接します。

メンバーのご親戚で元中学校長の方による事前調査に基づいて金次郎像を見て回りました。離島の伊是名(いぜな)島も含めて6ヶ所回りました。

私たちがなぜ沖縄の金次郎像の調査を思い立ったのか三つ理由があります。一つは純粋に沖縄県でも金次郎像があったのかという驚きからです。

少年金次郎像は戦前、国家発揚に用いられました。先の大戦で唯一の地上戦が行われ過酷な体験を持つ沖縄県民がどのような思いでいるのか知りたかったです。

二つ目は、現在沖縄では二宮金次郎について実際にどのように活用し教育に用いているのかを直接校長から話しを伺いたかったです。本土との違いがあるかないかです。

三つ目は、今後の交流への期待です。金次郎は成人して尊徳となり農村再興に生涯を賭けました。尊徳の実像や考え方を正しく伝えることを通じて交流を始めたいと思いました。

更に私個人の関心としてまちづくりに関わるものがありました。二宮尊徳の農村再興の考え方である報徳仕法を受け入れる素地が沖縄にあったのかどうかを知りたかったです。

現代の沖縄で報徳仕法を応用する余地があるかについても関心がありました。沖縄には膨大な振興予算が注入されています。規律を求める報徳仕法は有効ではないかと思ってました。

昭和になって全国的な金次郎像の建立の動きが沖縄県にも波及し金次郎像が建てられたと思われます。しかし金属製のものは国家に供出されて戦争の資材となりました。

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金次郎像は戦後になって改めて建てられたものです。沖縄では木造であったりコンクリート製であったりしました。寄贈者が判らないものもありました。

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書店・文房具を扱う事業者で創業者が二宮金次郎の像に深い関心を寄せた会社には様々な種類の金次郎像が遺されていました。陶器製のものもありました。

二宮尊徳の生まれ故郷の我々の地域とは地域事情は異なります。金次郎像に関心は高くありませんでした。我々の訪問が刺激を与えたと思いました。

小・中学校の校長先生たちに二宮尊徳の持つ教育的な意義を考えるきっかけを与えることが出来たと思いました。今後の交流が生まれる種がまかれました。

まちづくりに関して言えば報徳思想のような考え方が沖縄に合ったかは判りませんでした。ただ現代の沖縄には報徳思想の応用の余地は大いにあると思いました。

沖縄に正しい二宮尊徳の思想を伝え現代のまちづくりに活用することは意義あると思いました。沖縄の自立心を促し節度ある発展を導く可能性があると思いました。