沖縄と二宮金次郎2

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沖縄の二宮金次郎像の調査初日の31日は、最初に那覇市内の市街地にある天妃(てんぴ)小学校を訪れました。「天妃」という名前は、航海の安全を守る中国の女神の名です。

かつての琉球王国で信仰されたものです。天妃宮が学校の一角にあるということでした。「天妃」という女神の名の付く小学校の校長先生は、運天克子さんという女性の方でした。

女神ような運天先生から二宮金次郎像の説明を受けました。高さ75センチ、木造です。昭和50年(1975年)という年は書かれていますが寄贈に至る経緯は不明です。

この木造の金次郎が手にしている書物には、「大事をなさんと欲せば小なることを怠らず(以下略)」という「積小為大(せきしょういだい)」の報徳の教えが書かれてました。

運天校長先生との話は弾み平和教育についても意見を交わしました。沖縄の過酷な戦争の歴史を知るためには沖縄の子どもたちが学んだことを直接語るのが一番です。

二宮金次郎の生まれた小田原地域の小学校と金次郎像の縁で交流が出来れば可能になります。運天先生は非常に前向きでした。実現できると思いました。

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続いて那覇市の代表的な商店街、国際通りの中にある昭和29(1954)年創業の文房具・書店経営の安木屋を訪れました。安仁屋会長が応対してくれました。

書を読む金次郎の姿は書物と文房具を扱う会社の象徴だということで数々の金次郎像を収集されたということでした。陶器の金次郎像は色彩も鮮やかでした。

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続いて那覇から南に下り島尻郡八重瀬町の東風平中学校を訪問しました。「こちんだ」と読みます。校門の近くにコンクリート製の金次郎像が建ってました。

ガジュマルの大きな木の下で本土では見たことの無い派手な金次郎が書物を読んでいます。ご近所の方が手作りで制作されたものが放置されていたのを引き取ったということです。

沖縄県内では金次郎像のある中学校は、ほとんどなく、金次郎の業績について考え直してみようという思いだったということでした。1970年1月25日の制作と刻まれてました。

大城盛幸校長も意欲的で情熱的な方でした。そして生徒たちのあいさつが立派で元気がみなぎってました。スポーツ強豪校として有名だということです。

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続いて北に戻り名護市に向かいました。真喜屋小学校の跡地に高さ71センチの金次郎像がありました。1995年創立100周年の際に建てられました。

近くの公民館の職員から傷ましい歴史を伺いました。沖縄での地上戦の始まる二か月前の1945年4月、敵軍に活用されるのを防ぐため自ら学校を焼いたということです。

真木屋小学校は戦後海岸近くに再建されましたが今度は津波にやられました。1960年5月のチリ地震による津波です。現在は高台に新しい小学校が建っています。

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小学校の校庭に「シチマンタル」の精神を訴える看板がありました。「シチマンタル」とはあくまでもやりぬく根性を意味しているということです。

学校を自ら焼き移転した学校が津波で全壊してもへこたれずにその困難を乗り越えてきた真喜屋小学校に関わる方々の心に刻まれた思いを表現した言葉だと思いました。