宮城県訪問記1
宮城県登米(とめ)市でまちづくりを進めている市民グループに招かれて16日から18日まで宮城県を視察してきました。意見交換会を兼ねてミニ講演も行いました。
登米市は2005年4月に平成の大合併によって9町が合併してできた市です。536.123平方キロと広いです。宮城県北部に位置し岩手県と接します。
3・11の時は、最大震度6強の揺れが襲い、死者・行方不明者32人を出しました。201棟が全壊しました。内陸部の揺れが大きかったことを証明しています。
震災から5年半が経過した登米市内をざっと拝見させていただいた限りにおいては、壊れた建物は見当たらず震災の影響は脱却しているように見えました。
登米市の現在の人口は、およそ8万2千人です。合併した11年前の人口は9万1千人ですので9千人の現象です。市の大きな課題として人口減少への対応があります。
布施孝尚市長の今年の施政方針でも、子どもの数、定住者、交流人口のアップが掲げられていました。訪問する前は低迷している市のイメージを持ってしまいました。
ところが訪問後は印象が一変しました。広大な水田の稲は刈り取りを前に黄金色に染まっていました。日本を代表する穀倉地帯は健在でした。
牛と豚の畜産も盛んで林業も厳しいながら頑張っていました。産物は市内に6ある道の駅で販売されていて賑わっていました。道の駅が活力の拠点となっていました。
伊豆沼に代表される豊かな自然が残っていました。伊達藩の城下町として栄え明治維新後は旧水沢県の県庁所在地だった歴史と文化を伝える数々の遺跡がありました。
こぎれいな市民活動プラザの掲示板には活動の案内のチラシがたくさん張られ、市民活動の芽がたくさん出てきているような印象を受けました。
農業をやりたいと大都市部から移住してきた若者の話も伺いました。希少な品種のミニトマトの水耕栽培に挑戦しまずまずの滑り出しのようでした。
震災の時に支援に訪れたことがきっかけとなり東京から夫妻そろって登米市に移住してきた若手医師の話もうかがえました。地域医療への意欲にあふれていました。
ミニ講演で私は登米市には地域資源が有り余るほど存在すると話しました。もっと徹底して活かせば登米市の活力は格段に向上すると述べました。
そのためには行政のトップである市長の指導力が絶対に不可欠だと何度も強調しました。地域資源が溢れているのに十二分に活かせていないとしたら余りにもったいないです。
布施市長はまだ若いですので挑戦して欲しいと切望します。日本中の多くの地方自治体が人口減に悩み抜け出ようともがいているようなイメージがあります。
しかし実態は、豊かな地域資源を活かし切れていないために停滞しているかのように見えるのではないかと思えてなりません。やれることが有り余るほどあるのに残念です。
地域の実情を踏まえて何を目玉にするかを見極め長期計画を立案し、まずは集中し一点突破で取り組むことで活路は見い出せます。登米市の未来は輝いていると確信しました。