二宮尊徳の遺言に学ぶ。

回村の像と尊徳生家

(二宮尊徳像 小田原市尊徳記念館)

1月5日が「遺言の日」だということを知ってられるでしょうか。2日に東京・新宿の書店に行ったところ「遺言」のフェアをしていて初めて知りました。

設定したのは日本財団です。モーターボート競争の収益金を福祉など社会貢献事業に寄付し支援している団体です。寄付を促そうとの狙いがあるのかなと思いました。

遺書がないために行き場がなくなってしまったら遺産がもったないことは確かです。しかし資産のためだけに遺言がある訳ではありません。

その人の人生の生きざまを象徴するのが遺言です。早めに準備するためには生きざまをしっかりと確立しておかなければならないということになります。

言うは易く行うは難しです。結果として人生の最終局面になってしまいます。これでは残すべき言葉もわずかになってしまうので多少なりとも早める努力をすべきです。

私は、昨年8月に開催された国際二宮尊徳思想学会で発表をするため二宮尊徳の勉強を開始して以来尊徳の生きざまにすっかり魅せられハマってしまいました。

二宮尊徳の実証的な研究の第一人者である東北大学名誉教授の大籐修さんがその名もズバリ『二宮尊徳』という伝記を吉川弘文館から出されてます。

伝承ではなく史料や研究成果を徹底して読み込んだ伝記ですので物語ではありません。根拠をきちんと探求している伝記です。読み応え十分です。

3回熟読してようやく二宮尊徳の生きざまが頭に入りました。少年時代の困難に耐える姿は尊いですが、それ以上に成人してからの二宮尊徳に惹かれます。

農村の再興に身を挺して努める姿に伝記を読みながらこみ上げるものがありました。二宮尊徳は1855年の大みそか死期を悟り息子や弟子に遺書を残しています。

日記に書き付けていました。「予が足を開ケ、予が手を開け、予が書簡を見よ、予が日記を見よ、戦々兢々深淵に臨むが如く、薄氷を踏むが如し」

二宮尊徳と言うとすぐに立派な道徳家という印象です。それは一面に過ぎません。身分制の厳しい封建社会の中で農民出身から這い上がり悪戦苦闘しました。

自らの欲得ではなく疲弊した農村の再興に心身ともに全てを尽くして格闘しました。民衆の生活の安定があって国家の繁栄があるというのが根本でした。

遺書には、自分の手足を見てもらえば書斎の人ではなく現場の人だったことが判る、日記や書簡という実践の記録を読んで学んでほしいとの言葉を遺しました。

実践一筋の人生を全うし切って最期の時を迎え遺書を書いた翌年の10月に数えで70歳の生涯を閉じました。二宮尊徳の生きざまから何を学ぶかです。

私は実践の姿勢こそが学ぶべき点の第一だと思います。口だけでいくら立派なことを言っても二宮尊徳にとっては全く意味がありませんでした。

現代のまちづくりのリーダーたちは肝に銘じなければなりません。選挙の時だけ立派なことを言って、選挙が終われば素知らぬ顔で済ましていないでしょうか。

二宮尊徳がそんな首長をみたら烈火の如く怒り一喝することでしょう。天上の二宮尊徳から一喝されないよう公約として掲げたことは実践して欲しいものです。