副首長論について

昨日、副市長村長をどのように選んだのかについてヒアリングを受けました。相手は、公的機関に勤務しながら博士論文の準備を進めている30代前半の男性研究者でした。

東京大学法学部から大学院へと進み自治体行政学を専攻しているだけあって事前の調査も綿密になされていて質問も的確で優秀な研究者の卵だと思いました。

人文社会科学系の研究者の就職の場が乏しいのが現状です。何とか生活をしながら研究を積み重ねているのが実態です。こうした人材を活かす場を提供するのも政治の課題です。

首長の大きな任務である人事行政に関心があり人事の柱である副市長村長を見れば首長が何を実現したいかが見えてくるという仮説を持って調査研究を進めていました。

ヒアリングはたっぷり2時間でした。私は町長として実践した立場であり聞き手は若い研究者ですので必ずしも話がかみ合ったとは言えませんが濃密なひと時でした。

かみ合わなかったところは聞き手は副首長が行政出身なのか民間企業出身なのかなど出身母体別に特質が顕著に現れるはずだという視点を持ってました。

実践してきた私の眼から見れば行政出身者でも民間企業出身者であっても十人十色です。出身母体で特性が分かれるのではなく個々人によるというのが私の実体験から得た感想です。

それと根本的な問題として副首長論というのは成り立つのであろうかというそもそもの疑問があります。トップである首長がいて副首長は傘下に属する存在であるからです。

首長論は成り立っても副首長論を研究テーマにすることは困難が伴うように感じました。逆に副首長論が成り立つほど存在感があるとしたら首長の存在が希薄過ぎるからです。

昨今、副首長を始め行政スタッフの意見を尊重するタイプの多数を占めるようになってきた現状があるので副首長論を研究テーマにできるようになったのかとも思いました。

私の持論は市町村は、とりわけ小規模な市町村は全てが首長によって生きるも死ぬも決まるというものです。首長が圧倒的存在であるというのが私の論です。

こうした立場から見た副首長の理想は、首長が全幅の信頼を寄せる分身的存在です。分身と言っても首長のミニチュアとして存在するのではなく明確な役割分担があります。

私は町長3期目でようやく盟友的存在の副町長を抜てき出来ました。そこから私は後顧の憂い無く積極果敢に外に打って出ることが出来るようになりました。

国や県や民間企業のトップとの渡り合いも自信を深めることが出来ました。方向性が決まれば盤石の態勢で政策遂行が見通せるのですから自信満々で交渉に臨めます。

今振り返ってみても安定してました。本当に信頼できるナンバー2と仕事が出来るのは幸せでした。仮に副町長が失敗しようが自分が全責任を負える確信を持てました。

話を元に戻します。副首長を論じることは、あくまでも首長を論じることの一部であってその逆は成り立たないと思います。首長論の一環として副首長論は存在します。