今「教育勅語」を取り上げる意味を考える。

安倍総理や政府高官が教育勅語を現在の教育にどう活かすかについて言及しています。かの森友学園の教育方針にも関連する話題ですので耳目を集めます。

明治維新が起こり近代国家の体裁を整えようとした時に国家を担う国民の育成に指針とすべきものとして教育勅語は1890年10月30日発せられました。

中国から取り入れた儒教の精神を根本に生活し世のため人のためになる人間となろうとよびかけてます。今日の価値観に置いても参考とすべき心掛けだと思います。

そして、国家が危機に陥った時には勇気を奮い起して永遠に続いてきた天皇を中心とする国家を守るために奮闘すべきだとしています。

更に、天皇自らも教育勅語に掲げられた指針を胸に刻み国民とともに歩むと宣言してます。国民に発するだけでなく自らも実践しますと決意を述べてます。

まず、考えなければならないのは教育勅語によって育った国民が支えた日本国は、無残な敗戦を迎えてしまったということです。結果として教育勅語は失敗しました。

なぜかを深く考えるのが本来です。明治国家の理想がなぜ変質してしまったのかを真剣に問わなければならなかったのです。しかし日本はいつもせっかちです。

軍部が主導した軍国主義が悪いと短絡してアメリカが主導する民主主義へと脱兎のごとく走りました。国家意識が定まらない薄っぺらな日本への道を選択してしまったのです。

1948年の教育勅語を廃止する国会決議は占領下になされました。マッカーサーの占領軍は教育勅語に関する解説書は片っ端から没収処分にしました。

アメリカにとって好ましい日本国を誕生させるためには教育勅語が育成するような日本人が大勢育っては困るのだと思います。アメリカに逆らう国になりかねません。

アメリカは巧妙です。戦前抑圧されていた多くの国民が欲する自由と民主主義という贈り物を用意しました。国民は熱狂的に支持したと言って良いと思います。

その後の日本はアメリカに常につき従うことが習い性となりました。アメリカの国家戦略の下で日本は経済的繁栄を求めることで満足してきたのです。

しかしバブル経済が崩壊し日本の経済的繁栄が崩れました。グローバル経済の進行で格差も格差も広がりました。日本が再び危うくなってきているのです。

トランプ政権が誕生し、アメリカはアメリカのエゴを押し付けます。アメリカに従属しているだけでは日本が持たない状況が生まれようとしています。

日本とは何か、日本を守るとは何かを真剣に考えることを怠ってきた日本人が日本とは何か日本を守るとは何かを考えなければならない時代がやって来たのです。

その時、教育勅語問題が浮上しました。教育勅語の理想を変質させ日本を敗戦へと導いた流れからの提起ならば再び日本は無残な敗戦となります。見極めなければなりません。

教育勅語の理想を現代にも通用するよう改め世界に誇れる日本とするような道のりを進むことこそが求められます。今度こそは国民が主体となって進路を選ばないとなりません。