親父の背中
フェイスブックで教育の原点は親だということを感じる話が紹介されていました。俗に言う親父の背中の話でした。作文を書いた高校生の父親の職業はとび職です。
作文によると、たまの休みは焼酎片手にごろごろしていて妻からは粗大ごみ扱いされてました。息子の方もそんな母親の態度に影響されてか父親の存在を軽く見ていました。
ところがある日偶然に息子さんが父親の務める建設会社の作業現場を見る機会がありました。高所の作業の現場の厳しさをまざまざと知ることになりました。父親を見直しました。
作文ですので話がまとまり過ぎているところもありますが、私も同じような体験をもっていますので共感しました。町長だった父親は余り仕事を語りません。
家庭の中では、怒られるので怖いとかそんな印象ばかりが強かったです。私が父親のことを知るきっかけは自分自身が父親と同じ町長職に就いてからです。
相当に難儀しながら長期的な視点に立って町づくりを進めていたことを知りました。子供の頃の父親の姿が目に浮かびました。苦しんでいたことが判りました。父を観る眼が変りました。
本気で真っ当に生きていればいつかわかるものです。その存在感を親父の背中と称しているのだと思います。こうした背中を持つ父親が少なくなってきたように思います。
目先のことだけで揺れ動いていては存在感のある背中にはなれません。信念を持って本気でやり抜く積み重ねがありませんと親父の背中も育ちません。子供もまともに育ちません。
(追記)フェイスブックで紹介された作文はこちらです。https://www.facebook.com/photo.php?fbid=527744570605593&set=a.514646581915392.1073741828.483414031705314&type=1&theater