「ホラは吹いてもウソはつかない」まちづくり
元神奈川県開成町長 露木甚造
新年度が始まりあっという間にひと月が過ぎました。今年度も日本大学と神奈川大学でまちづくりの講義をしてます。準備のため開成町のまちづくりを調べ直しました。
1975年2月13日付の神奈川新聞のインタビュー記事を読み直しました。元開成町長だった父、露木甚造の町長4期目当選直後、抱負を語った記事です。
父は5期20年町長を務めました。4回は激しい選挙戦でした。特に最初の選挙は7票差という際どい勝負を勝ち抜きました。唯一4期目だけが無投票でした。
神奈川新聞の記事からは得意満面の様子が伺え息子として微笑ましい感じがします。記事は、足柄平野において小田原市に次ぐ副中心都市にするという意欲が溢れてます。
1955年に2村が合併し開成町が誕生した当初は人口4600人の極小の町でした。純然たる農村でした。父は大風呂敷を広げて町政を展開しました。
小田原市に次ぐ都市にするためには駅がなければなりません。東京・新宿と小田原を結ぶ小田急線の線路が走っているだけでは話しになりません。
インタビューでは見通しは明るいと述べてますが実態は厳しかったと言えます。新駅をつくると断言して町長に就任した父にとっては頭が痛い問題でした。
無投票に終わった要因について聞かれ父は「ホラは吹いてもウソはつかない人間像」が理解されてきたと答えています。言い得て妙だと思いました。
駅もなく水田ばかりの町をいきなり小田原に次ぐ都市にするのだと言い切るのですからホラ吹きに近いです。ではウソではないという根拠はどこにあったのでしょうか。
私は、計画的に町をつくっているのでいずれそうなるという自信がらだと思います。父は1965年開成町の6.55平方キロという狭い町域全てを都市計画区域に編入しました。
三分の一は農地に残すというのがきもです。高度成長開発一辺倒の時代の空気の中で計画的に土地利用を行い農地の大切さに着目したのは先見の明としか言いようがありません。
意図して政策選択したのが素晴らしいです。1965年12月1日の開成町の広報を見直してみました。なぜ都市計画区域に編入したかが明確に書かれてます。
開成町を「理想的な田園都市にする」とされてます。そのためには「強い規制が必要なので住民の協力をお願いする」と書かれているのです。
広報で住民に厳しい要求をするなどということはめったにありません。父のトップダウン型行政の真骨頂が見て取れます。規制をかけなければ理想は実現しないというのです。
反発が出ます。開成駅の開業がなかなか進まなかった真因はここにあると見ます。一日も早く有利な条件で開発したいという地権者にとって回り道です。
狭い開成町全体の土地利用を厳格に定めたことにより開発型の都市開発は遅れましたが美しい田園計画は残りました。あぜ道にはあじさいを植え公園のような景観となりました。
父は1983年町長を退き翌年急死しました。開成駅の開業は死の翌年1985年でした。あの世でウソはつかなかったことが証明できたとさぞかし喜んだと思いました。