8月訪中最終決定

14日、日中歴史文化交流センターの役員会を開催しました。8月28日から9月1日までの5日間、中国河南省安陽市と登封市を訪問することを最終確認しました。

(日中青少年書画展 2013年5月 殷墟)

2013年5月に両市を訪問し安陽市にある世界遺産、殷墟で青少年書画展が開かれ、治水神・禹王の故郷とされる登封市では民間禹王研究者との交流が始まりました。

2015年神奈川県開成町で開催された東アジア文化交渉学会でも日中青少年書画展が行われ、登封市の民間研究者が来日し交流が続きました。

今年は、日中国交正常化45周年の節目の年です。これまで積み重ねた交流を継続し少しでも前進させようと考え訪中団を結成することとしました。

日中歴史文化交流センターは、関係悪化が続く日中関係を歴史と文化の交流から小さくても風穴を開けようと2014年2月に立ちあげたものです。

昨年度は中心メンバーの事務局長が交通事故に合われたrしたこともあって活動が滞りました。今年は、訪中を成功させて活動の再開に弾みを付けたいです。

訪中メンバーは20名を超える規模になります。安陽市との交流を続けている小田原市の代表として幹部が参加することになりました。市議会議員も数名参加します。

今回の青少年書画展は、安陽市の漢字博物館で開催が決定しました。小田原市を中心に開成町などの小中学生の作品、300点ほどが展示されます。

小学校の書道の授業で使った半紙をリサイクルしている団体の協力を得てリサイクル半紙にかかれた作品の展示も行います。日本の環境問題に対する姿勢を説明します。

登封市では民間禹王研究者と共同でシンポジウムを開催します。双方の民間レベルの禹王研究を発表し合い禹王をテーマにした日中文化交流を深めます。

1707年の富士山の大噴火後の災害の歴史を辿った結果、治水の難所に建つ神社の祭神が中国の治水神・禹王であることを再発見した驚きを伝えてきます。

私は講演者の一人として二宮金次郎と治水神・禹王との関係について話します。人生をかけて農村再興に尽くした二宮金次郎は治水神・禹王の伝説と共通性があります。

二宮金次郎は禹王を聖人の一人として讃えています。そもそも二宮金次郎が唱えた「報徳」という言葉は、孔子の論語から取った言葉です。

(中国・山西省 禹門口)

講演の中でどうしても触れたい事実があります。日中戦争で治水神・禹王遺跡が破壊されてしまったことです。中国山西省の黄河の「禹門口」のほとりにあった「禹廟」です。

戦前の日本の歴史の教科書にも掲載されていたほどの歴史的建造物です。その建物が戦争で破壊されたことは中国国民にとって心の傷です。

中国最初の王朝「夏」の祖である禹王の業績を象徴する建物が破壊された事実を侵略した側の日本が直視することがまず再建の第一歩であることは言うまでもありません。

日本側がそうした認識をしっかり持てば両国が力を合わせて禹廟の復元に向けて動き出すことも決して夢物語ではありません。まずは問題提起をします。