足柄歴史新聞 新編『富士山と酒匂川』発刊に向けてスタート。

 

足柄の歴史再発見クラブの定例会がありました。2007年3月富士山宝永噴火から300年の節目にあたる年に『富士山と酒匂川』は刊行されました。

足元の災害の歴史を見つめ直して後世に伝えようと2006年2月に発足した「足柄の歴史再発見クラブ」の最初の大きな取り組みでした。

小学生の社会科の副読本を目指しただけに写真や図が満載で記述も判りやすく幹事にはルビが振られ素晴らしい出来栄えでした。関係者にも大好評でした。

小学校などに出前授業を行い自ら学んだ災害の歴史を伝えることで地域の防災力を高めることにつなげる取り組みを行っています。意義ある防災まちづくりへの貢献活動です。

(文命東堤碑 神奈川県南足柄市大口 福澤神社境内)

研究という視点から見ても成果がありました。富士山を源流とする酒匂川の治水の難所に建てられた神社の守り神は中国の治水神・禹王であることが再発見されました。

日本全国で禹王に関連する遺跡は100ヶ所を越え中国の郷土史研究者たちとの交流も生まれ2015年5月には開成町で国際学会を開催することが出来ました。

かすみ堤と呼ばれる土手が二重堤防になっていて増水時に一時的な湧水機能を果たせる土手が酒匂川の三ヶ所現存している事実を探求しました。

毎年、記録的な集中豪雨が襲う時代にかすみ堤が果たす役割は注目されてます。江戸時代のローテクが再評価されています。クラブの取り組みは一歩前を行ってました。

しかし調査活動を続けるうちに不十分な記述箇所も見つかりました。県境をまたいで流域全体で捉えるという視点が薄かったです。静岡県側の記述の充実が必要です。

河川は海に向かって左岸、右岸に分かれますがクラブのメンバーが右岸側の集中していたこともあり記述の分量が偏っていました。バランスを取ることが不可欠です。

何と言っても『富士山と酒匂川』を刊行した後の2010年9月に酒匂川の水源地域に時間雨量で100ミリを超える記録的集中豪雨がありました。

(静岡県小山町 2017年3月撮影)

土砂崩れが頻発して「激甚災害地域」の指定を受け今も復旧作業が続いてます。310年前の噴火の黒い砂が大量に濁流となって酒匂川に流出して河川敷の施設は埋まりました。

江戸時代の宝永大噴火は過去のものではなく現代の我々に牙をむいてきたのです。山林の管理が疎かになって荒廃が進んでいることと無縁ではありません。

水源地域から下流までが本当に一体となって治山と治水に取り組まないとならないという警告です。この状況下で万が一富士山が再び噴火したらどうするかは重要課題です。

『富士山と酒匂川』を新編として刊行する場合には10年間の時間の経過の中で判った事実やその後に発生した災害をきちんと盛り込んて内容の充実を図る必要があります。

刊行は2019年3月を目指しています。私の最大の任務は財源の確保と出版元との交渉です。編集作業も大変ですがこちたも容易ではありません。全力投球で解決します。