人工知能時代の到来とまちづくり、国づくり

昨晩は、藤井聡太四段の公式戦29連勝の話題でもちきりでした。NHKは夜9時のニュースの中で生中継でした。14歳です。とてつもない偉業です。

しかし将棋界の覇者は人間ではありません。人工知能です。おとといのNHKスペシャルでその最前線を放送していました。将棋の名人も全く歯がたちません。

番組紹介→http://www6.nhk.or.jp/special/detail/?aid=20170625

膨大な量のデータから最適な一手を選択して行くという人工知能の面目躍如といった分野です。囲碁、将棋、チェス、ルールがはっきりしたゲームは人工知能の世界です。

人工知能は、ゲームの世界だけでなく社会生活の様々な分野に急速に寝室していることを番組は伝えていました。人間の一生を左右するような使い方も始まりました。

様々な個人データから再犯率が高いと判定された受刑者に対して人工知能の判断で出所を制限するアメリカの事例が紹介されていました。

より効率的により最適にという社会の要請にとって人工知能の進化は頼もしい限りです。無駄を省いてくれるのですから企業は導入を急ぎます。

しかし一方で人間を人工知能が制御してくるとなると戸惑いを覚えます。盛んに言われているようにいずれ人間の職業を奪って行くことが確実視されてます。

番組では人工知能の助けを借りて効率的にタクシーを流す運転手の事例が紹介されてました。効率は上がります。しかし人口知能の自動運転の時代が到来すれば職が無くなります。

高性能の人工知能搭載のロボットと一緒に生活し健康的で効率的な生活を送るため色々と指図を受けるSF映画の世界が現実味を帯びてきました。

まちづくりへの応用も真剣に考えないと間に合わないと痛感しました。交通安全、防犯、防災分野への人工知能の応用は急ピッチだと思います。

しかし光があれば陰もあります。人工知能に職業を奪われたり先に紹介したように人生の進路を左右されたりということになると慎重さが欠かせません。

人工知能時代のまちづくり、更には国づくり、目先の技術の進化に目を奪われることなく国を挙げて真剣に議論すべき課題であることに異論はないと思います。

脳死をめぐって国を挙げて議論しました。脳死臨調といわれました。今度は人工知能臨調の設置が求められているのではないかと確信します。

楽観的に放置することは社会の混乱を招きます。職業を奪われた人々による人工知能ロボット打ちこわし運動が起こる可能性は否定できません。

人工知能時代の到来は必然なのですからどうしたら共存共栄できるか、工学分野だけではなく哲学や教育などの人文化学、法律経済の社会科学も総動員して検討を加えるべきです。

学習し適格に行動するという人間の能力の本質に関わる分野に人口知能は一切の配慮なしに出てきました。人工知能には無い人間の能力とは何なのかが問われます。

もしそれが芸術作品を生み出すような研ぎ澄まされた感性であったり身を捨てて貢献する真心であるのであればそうした能力を磨く教育に国を挙げて取り組む対策が必要です。