8月31日、河南省・登封市で開催された国際研究発表会で禹王に関する中国、韓国の考古学や歴史学の専門研究者とおもに発表の場を与えられました。

5人が登壇し専門的立場からの考察を紹介しました。私たち「足柄の歴史再発見クラブ」と関係の深い、法政大学の王敏教授も発表者の一人でした。

私は考古学や歴史の専門研究者ではないと切り出しました。まちづくりの実践家であり元ジャーナリストとして禹王をとらえ話しました。

一番伝えたかったことは禹王を偶像化してしまうことの危険性でした。偉大なる中国の最初の王朝の創始者という側面ばかりに光を当ててはなりません。

私たちの地域の故郷の偉人である二宮金次郎が実像とは離れて偶像化された事例を紹介し本当の姿を捉えることの大切さを論じました。

現代中国の経済的躍進は目覚ましいものがあります。1981年5月新婚旅行で訪れた中国、とても貧しかったです。今は、別世界です。

経済の躍進は文化の面でも偉大なる中国の発揚の動きにつながるのは自然の流れです。この潮流の中で禹王を実像から離れて偶像化することは疑問です。

伝承であったとしても治水の優れた実践家であったという基本は、大水害が多発する現代社会にあって今でも通用するからです。

日本においては禹王は治水神として祀られてきました。神奈川県西部を流れる酒匂川の治水の難所に立てられている禹王遺跡もそうです。

治水の神であるという基本を押さえて禹王をとらえることが大切であり、禹王が採用したとされる柔軟な治水方法にもっと光を当てる必要があると思います。

禹王は決して過去の存在ではなく現代において生きる存在としてとらえる必要があると述べました。考古学や歴史の研究者に対して刺激的だったかもしれません。

最後に禹王関わる日本人として忘れてならないことがあることも強調しました。日本と中国は深い文化的つながりがあることは逃れられない事実です。

その一つの事例として日本における禹王の存在があります。禹王に関わる日本人はこの事実を見据えて中国との結びつきを再認識し友好へとつなげる責務があります。

私は、またもや二宮金次郎が提唱した「報徳」という考え方を紹介し日中友好を訴えました。「報徳」とは「徳をもって徳に報いる」という論語の言葉です。

二宮金次郎は幾多の苦難を乗り越えて農村の再興に尽くした江戸時代の禹王的存在です。その二宮金次郎の「報徳」の考え方は日中友好へと直結します。

中国は1972年の日中国交正常化に際して戦争で受けて損害に対する賠償権を放棄しました。「恨みに対して徳で報いた」といわれました。

日本人はその徳に応えなければなりません。禹王を通じて日中のつながりを見つめ直し友好へとつなげることは徳に対して徳で報いる行動だと思います。

なぜ今禹王なのか、現代にも通じる偉大なる治水の実践者であったことを知ること、そして禹王を通じて日中の文化のつながりを知り日中友好に努めることです。