横浜で日本の中の中国展開催中

神奈川県日中友好協会が日中国交正常化45周年記念事業として「日本の中の中国展~神奈川の足跡を訪ねて~」を開催しています。

場所は横浜の京浜東北線本郷台駅近くの「地球市民かながわプラザ(あーすプラザ)」、午前10時から午後5時までです。

古代から江中世、江戸時代明治時代、そして現代にいたるまでの時代に沿った形で100枚ほどのパネルが展示され日本と中国を知るパノラマみたいです。

8月28日から9月1日まで中国を訪問した成果も早速展示ができました。神奈川県南足柄市と山北町にある中国の治水神・禹王遺跡をめぐる交流の様子を展示しました。

禹王の故郷、河南省登封市での禹王まつりの写真が掲げられてます。熱烈歓迎ぶりと地域に根差した文化を知ることも大切さを伝えようとしてます。

神奈川県は秦の始皇帝が不老長寿の妙薬を求めて使わせた徐福伝説が残る地でもあります。藤沢市の妙善寺には徐福と関わりのある墓誌があります。

鎌倉の名刹建長寺を開いたのは中国宋代の渡来僧、蘭渓道隆です。著名な渡来僧は相次ぎ、、鎌倉の禅宗文化と中国は、切っても切れない深い結びつきがあります。

薬と菓子で有名な小田原の外郎(ういろう)家のルーツは中国浙江省にあり医師でした。日本に帰化し北条早雲に招かれ小田原に来ました。

明治初期「マリアルス号事件」が発生しました。ペルー国籍の「マリアルス号」が船体修理のため横浜港に入港しました。

船には中国の苦力(クーリー)と呼ばれる中国人労働者が押し込められていました。日本は中国人労働者を解放しました。

現代中国の革命の父孫文は神奈川と深い縁があります。山下町に滞在していたことがあります。箱根の富士屋ホテルにも宿泊しています。

中国革命に身を投じた革命の志士たちの足跡も神奈川に刻まれています。鶴見の総持寺には革命に殉じた同志の追悼の碑が建てられてます。

中国近代文革の父、魯迅は、日本留学中に鎌倉の円覚寺で座禅に励んでいました。神奈川県立近代美術館には魯迅の版画が所蔵されてます。

中国国歌、「義勇行進曲」の作曲家聶 耳(ニエアル)は中国雲南省昆明の出身で1930年日本亡命中に湘南の海で海水浴中に溺死しました。

1986年に聶 耳記念広場が整備されました。湘南という地名は中国の景勝地、湖南省の南部地域に似ていることからつけられたとの伝承があります。

太平洋戦争末期、相模湖ダム建設のため292人の中国人捕虜が過酷な強制労働に従事させられて28人が犠牲となりました。

この負の歴史を後世に残そうと「相模湖・ダムの歴史を記録する会」が1976年に発足して日本中国双方から証言を集め犠牲者の追悼会を開催してます。

神奈川のおける日本と中国を象徴する地は横浜中華街です。1859年に横浜の開港とともに歩みました。中華街の歴史は横浜の歴史でもあります。

神奈川県は中国東北部の遼寧省と友好関係を結んでいます。横浜ー上海、川崎ー瀋陽、藤沢ー昆明、鎌倉ー敦煌もそうです。

展示会は、今月24日までです。日本と中国との関係が順調とは言えない今日是非とも多くの皆様に観てもらいたいと思います。